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リトアニアの国旗は、黄・緑・赤の三色旗である。ヨーロッパの国であるが、偶然汎アフリカ色が用いられている。リトアニア共和国独立回復前の1989年3月20日に再制定され、2004年に縦横比が1:2から3:5に変更されている。 同様の三色旗はソビエト連邦に編入される前の1918年から1940年にかけても使用されていたが、当時の国旗は現在のものと比べると色合いが明るく、縦横比は2:3であった。 1940年から1989年(ただし1941年から1945年まではナチス・ドイツに占領されていた)まではリトアニア・ソビエト社会主義共和国の国旗が使用されており、1953年までは赤旗に鎌と槌が描かれ国名が書かれた旗が使用され、1953年からは赤旗に鎌と槌および星が描かれ、緑と白の帯が施された国旗が使用された。 == 変遷 == === リトアニアにおける国旗の起源 === ファイル:Alex K Grundwald flags 1410-03.svg|ヴィーティスが描かれた戦旗 ファイル:Alex K Grundwald flags 1410-02.svg|ゲディミナス家の紋章が描かれた戦旗 ファイル:Chorągiew_królewska_króla_Zygmunta_III_Wazy.svg|ポーランド・リトアニア共和国の旗(1587年~1632年) リトアニアを象徴する旗としては、15世紀のヤン・ドゥウゴシュの著作『プロイセンの紋章』 (''Banderia Prutenorum'') に記録されている旗が、現在知られているものの中で最初の例である。1410年のタンネンベルクの戦い(グルンヴァルトの戦い、またはジャルギリスの戦い)では2種類の旗が用いられた。この戦いでは、約40の連隊が馬にまたがい敵を追う騎士の描かれた赤い旗を掲げ、また他の連隊はゲディミナス家の紋章が描かれた赤い旗を掲げていた。騎士が描かれた旗はヴィーティスとして知られ、リトアニア大公国やポーランド・リトアニア共和国の国章にも描かれ、18世紀末のポーランド・リトアニア共和国の分割によって国家が消滅するまで用いられた〔。さらに現代においても国章に描かれており、また2004年からは政府旗として用いられている。 ヨーロッパの諸共和国における国旗変更に影響を受け、リトアニアでも黄・緑・赤の三色旗が誕生した。三色旗という案はフランス革命後に採用された青・白・赤のトリコロールの影響で生まれた。リトアニアでそれ以前から存在していた三色旗は、小リトアニア地方の緑・白・赤の三色旗のみである〔。 黄・緑・赤の三色旗を最初に提案したのが誰であるかは知られていないが、この案は19世紀ヨーロッパやアメリカといった海外へ移住したリトアニア人によるものと考えられている。この三色は民俗的な織物や衣装によく用いられる色であった〔 〕。1905年のヴィリニュス大会議において、この三色旗はリトアニア国民の旗としてヴィーティスの旗以上に支持を受けた。ヨナス・バサナヴィチュスが強く支持したヴィーティスの旗は3つの理由から選ばれるにはいたらなかった。まず、大会議ではベラルーシやウクライナなども領土に含んだリトアニア大公国の旗からは距離を置くことが望まれたことが理由としてあげられる。次に、マルクス主義者や共産主義者の主義主張に連合する革命家らが赤色を支持していた。そして最後に、ヴィーティスの旗は複雑で縫い合わせるのが容易ではなかったことが理由であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リトアニアの国旗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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