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MGR-3 リトル・ジョン()は、アメリカ合衆国の地対地核ロケット(弾)である。リトル・ジョンは、ヘリコプターによる運搬を可能にするために同じ地対地核ロケットであるMGR-1 オネスト・ジョンよりも小型・軽量であり、空挺強襲作戦に用いられることを目的としていた。また、空挺部隊に戦術核攻撃能力を持たせることを意図していた。オネスト・ジョンと同様に、核弾頭と通常弾頭の両方を搭載できるようになっていた。1957年8月から少数が部隊に配備されたが、小型にしすぎてしまったために空挺以外の用途に応用できず、オネスト・ジョンよりも早い1969年8月には退役した。 == 開発 == アメリカ陸軍武器科は1953年5月、MGR-1 オネスト・ジョンを基にした、お互いに重なり合う射程を持つ核ロケット兵器ファミリーの研究計画を立案した。「ジョン・ファミリー」は、中距離射程のオネスト・ジョン、短距離射程のオネスト・ジョン・ジュニア及び長距離射程のオネスト・ジョン・シニアを含むことになっていた。ダグラス・エアクラフトはオネスト・ジョン・ジュニアの技術研究を開始し、それが後にリトル・ジョンとなった。 短距離システムのための技術研究は、ダグラスとの基本研究開発契約で進められ、1953年から1954年までの間に短距離システムのためのいくつかの異なる構成を検討したが、それらのほとんどは最終的なリトル・ジョンの設計や特徴に採用されることはなかった。 1954年8月。アメリカ合衆国陸軍省はオネスト・ジョン・ジュニアの安定した要求仕様を承認し、陸軍陸戦軍長にシステムの正式な軍用性能を準備するよう指示した。リトル・ジョンの軍用性能は、陸軍省によって1955年6月に承認された。レッドストーン兵器廠は、1954年8月からシステム設計の研究を開始し、1955年2月には、完全なリトル・ジョン・システムのために予備設計研究を開始した。 1954年12月。アメリカ陸軍武器科長官房局 (OCO) は、オネスト・ジョン・ジュニアとしてよりもむしろリトル・ジョンとして知られている新しい兵器システムの開発に対する計画の骨子を設定し、1955年6月14日にリトル・ジョン計画は、正式に確立された。計画遂行の主な責任は、レッドストーン兵器廠に割り当てられた。ダグラスがオネスト・ジョンの開発に絡む契約の所有権条項を固定料金の相当な割増をせずに受け入れるという問題を抱えていたため、レッドストーン兵器廠は同社から許容できる提案を得ることができず、同兵器廠は計画の全体的な技術管理監督を行っただけでなく、システムの主契約者の役目をも引き受けることになった。 陸軍幕僚は1955年8月、陸軍武器科長に17.35 in(440 mm)弾の研究をやめ、より小さな直径約11.5 in(292 mm)の核弾頭を搭載するためにリトル・ジョン・ロケットを開発するように命じ、440 mm(17.35 in)のリトル・ジョンは1955年9月9日に公式に中止され、計画はより小型のロケットの開発へと方向修正した。更にリトル・ジョン計画は、1956年1月に臨時システム(イントリム・システム、フェイズ1)及び最適システム(オプティマム・システム、フェイズ2)の2つの段階に分割された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「MGR-3 (ロケット)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 MGR-3 Little John 」があります。 スポンサード リンク
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