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リニアクインは日本の競走馬。1977年の優駿牝馬(オークス)優勝馬である。松田幸春が1戦をのぞき騎手を担った。 祖母(2代母)・トキノキロクと高祖母(4代母)・ブランドソール(繁殖名ゴールドウエツデイング)もクラシックホース(桜花賞馬)である。祖母トキノキロク、母エンタープライズII〔1964年生まれのライジングフレーム産駒にエンタープライズという馬がいるため、血統表上では「II」を付けて区別する。1964年生まれのエンタープライズの子孫にはカネトシシェーバーなどがいる。〕と本馬は同厩舎同馬主である。 * 馬齢は日本で2000年以前に使用されていた旧表記(数え年)で記述する。 == 来歴 == === 競走馬時代 === デビューは4歳に入ってからであり、1977年1月5日の新馬戦(京都)でデビュー戦を飾った。続く2月6日のクロッカス賞(京都)では2着だったが、2月27日のつくし賞(阪神)を勝ち、次走は桜花賞(阪神)となった。 4月10日の桜花賞は、阪神4歳牝馬特別を含めて4連勝を果たしたダイワテスコが出走取消となった事から、2戦目の新馬戦と若葉賞を圧勝したインターグロリアが、テン乗りながらも福永洋一を鞍上に据えた事もあって1番人気。ダイワテスコが勝った阪神4歳牝馬特別で1番人気(4着)だったファインニッセイが2番人気だったが、混戦模様漂う一戦となり8番人気でしかなかったリニアクインにもチャンスがあった。結果は、インターグロリアが人気に応え、3馬身差の2着にはファインニッセイが入って人気通りの決着となったが、ファインニッセイから1馬身4分の1差の3着に入った。 もっとも、ここまではまだリニアクインの評価はあまり高くなかった。しかし、4月29日開催の4歳中距離ステークス(東京)において、2着のマルポエントに7馬身の差をつけて圧勝。このレースには、当年のダービー出走権をかけていた馬たちも出走していた事から、当馬の評価は一気に高まった。しかも、桜花賞馬のインターグロリアが東京で行われた5月1日の4歳牝馬特別(以下、4歳牝特)で9着と大敗した事もあり、5月22日のオークスでは1番人気に推され、4歳牝特2着のアイノクレスピンが2番人気、4歳牝特勝ち馬のメイワロックが3番人気となった。 レースは、道中待機策から直線半ば辺りからスパートをかけると、後続を突き放す展開となり、アイノクレスピンに3馬身の差を付け、2分28秒1のオークスレコードで圧勝。3着にはメイワロックが入ったが、インターグロリアは馬群に揉まれたまま14着と大敗した。 当馬が勝ったオークスにおける走破タイムは、当年のダービー馬ラッキールーラの勝ちタイム2分28秒7を上回るものであり、この事に鑑み一部の競馬マスコミから、『今年は牝馬のほうが牡馬よりも強い。リニアクインはダービーに出た方が良かったかもしれない。』という論調の記事が掲載された。 そして、10月2日の神戸新聞杯ではアイノクレスピンが1番人気で、当馬が2番人気という人気となった。結果もアイノクレスピンが半馬身差を抑えて1着。当馬が2着に入り、牝馬のワンツーフィニッシュを決めた。 その後、当馬は10月30日の京都牝馬特別(京都)に出走したが、リネンジョオーの5着に敗れた。11月20日のエリザベス女王杯(京都)は、3連勝中で前走のオープン(京都)で5馬身差の圧勝劇を演じたアイノクレスピンが断然の1番人気。2番人気に当馬、3番人気にインターグロリアが続いた。道中はアイノクレスピンをマークする形でレースを進めたが、アイノクレスピンは4角で一杯となり、第3 - 第4コーナーの坂の下りを利しながら早め勝負に持ち込んだ鞍上福永洋一の作戦もあったインターグロリアが先頭に立った。直線に入ってインターグロリアを追い詰めたものの、〔実況を担当していた杉本清は、『天才に、まんまとしてやられました!』と、レース後に言った。〕、半馬身差及ばず2着となった。 その後、12月18日の阪神牝馬特別(阪神)に出走〔このレースのみ、河内洋が騎乗。〕。インターグロリア(1着)、スリーファイヤー(2着)と大接戦を演じ3着に入った。 明けて5歳に入り、1978年1月5日の金杯(京都)に出走。並みいる牡馬を抑えて堂々1番人気に支持され、ダイフクジュに半馬身の差を付けて人気に応えた。2月19日の京都記念でもホクトボーイ・エリモジョージの2頭の天皇賞馬に次ぐ3番人気に支持されたが、大した見せ場を作れずエリモジョージの5着に終わった。その後、繋靭帯炎発症が判明し長期休養に入ったが、復帰する事無く引退。結局、京都記念が現役最後のレースとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リニアクイン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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