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『リビング11』(リビング・イレブン)は、1972年4月3日から1982年3月31日までフジテレビで放送された平日昼前の情報番組である。放送時間は、毎週月曜 - 金曜 11:00 - 11:45(JST)。 ここでは、当番組の源流に当たる「東京ホームジョッキー」(のち「リビング4」→「リビング2」に改題)もまとめて触れる。 == 概要 == 1960年代末期、三越専務だった岡田茂が日本でもニッポン放送のプロデューサー・DJだった高崎一郎に日本版テレビショッピングの企画を打診したことに始まる〔高崎一郎さん死去 「ANN」初代DJ、「レディス4」司会 スポーツ毎日2013年8月15日付記事より。〕。関係省庁との協力を仰ぎながら、1970年10月に関東ローカルのワイドショー『東京ホームジョッキー』(司会は高崎と中野安子)として放送開始。 東北地方で取れた魚介類を産地直送したり、北海道の木材で作った家具などを視聴者特別価格で購入できるようにするという、今日の通信販売の礎を築く記念碑的な番組だった〔 - Dinos Recruit Site(インターネットアーカイブ保存データ)〕。まだビデオの普及が乏しかった時代であるため、1971年に「サンケイリビング新聞」が創刊される。それがきっかけとなり、フジサンケイグループが通販事業に参入。同年12月に「ディノス」を設立する〔。 番組は、『東京ホームジョッキー』の後継番組である『リビング4〔1971年10月 - 1975年9月、16時台に放送。〕』から派生した番組で、当初は同番組の路線を洗練化してインフォメーションプログラムコーナー(生活情報)・通販コーナー(テレショップと、ディノスコーナー)のみで構成され、パーティシペーションCMは一切入れなかった。〔 境政郎『テレビショッピング事始め』完全連動番組「リビング11」登場 82ページ〕 特に通販コーナーは産経新聞の分冊『サンケイホームニュース〔当時はラジオ・テレビの番組表と婦人面を併せ持った分冊だったが、後にサンケイリビング新聞社の『リビング新聞』に発展。〕』と連動していた。 一方、『リビング4』は1975年10月に14時台へ移り、『リビング2』に改題(この時間枠移動の頃よりレポーター・コーナーレギュラーとして豊原ミツ子や東海林のり子らが新たに番組に参加)した後、1982年春の改編に合わせて終了。翌1983年4月には出演者・主要スタッフ・放送局がテレビ東京へ移り『レディス4』として放送されるようになった。ただ、通販コーナーは、この番組の終了後に始まったワイドショー『ワイドワイドフジ』に引き続き内包された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リビング11」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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