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リポン伯爵 : ミニ英和和英辞書
リポン伯爵[はくしゃく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 
伯爵 : [はくしゃく]
 【名詞】 1. count 2. earl 

リポン伯爵 ( リダイレクト:リポン侯爵 ) : ウィキペディア日本語版
リポン侯爵[はくしゃく]

カウンティ・オブ・ヨークにおけるリポン侯爵()は、かつて存在したイギリス侯爵位。連合王国貴族爵位。
第2代リポン伯爵・第3代ド・グレイ伯爵ジョージ・ロビンソン1871年に叙されたのにはじまる。爵位名はノース・ヨークシャーリポンに因む。
== 歴史 ==
庶民院議員を務めた(1655–1736)は、1690年2月13日準男爵位を与えられた。
この初代準男爵の四男である(1695頃–1770)は、外交官として(在職1730年-1748年)、政治家として(在職1754年-1755年)や庶民院院内総務(同)を務めて活躍し、準男爵位を継承した兄たちと別に1761年4月7日に「カウンティ・オブ・リンカーンにおけるグランサムのグランサム男爵(Baron Grantham, of Grantham in the County of Lincoln)」に叙せられた。
その長男である第2代グランサム男爵トマス・ロビンソン(1738–1786)も外交官・政治家となり、外務大臣(在職1782年-1783年)を務めたのを経歴の頂点とする〔。彼は第2代グレイ女侯爵の娘メアリーと結婚しており、その間に長男(1781–1859)と次男フレデリック(1782–1859)を儲けた。メアリーの姉であるアマベル・ヨーク(1751–1833)は、1816年10月25日にメアリーとその男系男子の子孫への特別継承権付きの連合王国貴族爵位「ド・グレイ女伯爵(Countess de Grey)」を与えられた。そのため彼女の死後には2代グランサム男爵とメアリーの長男トマスが第2代ド・グレイ伯爵を継承することになった。またトマスはそれまでに父から第3代グランサム男爵、本家から第6代準男爵位も継承していた。
一方2代グランサム男爵の次男であるフレデリック・ジョン・ロビンソン(1782–1859)は政治家として首相(1827年-1828年)まで上り詰め、兄とは別に1827年4月28日に「カウンティ・オブ・リンカーンにおけるノクトンのゴドリッチ子爵(Viscount Goderich, of Nocton in the County of Lincoln)」、1833年4月13日に「リポン伯爵(Earl of Ripon)」(いずれも連合王国貴族)に叙せられた。
その一人息子であるジョージ・フレデリック・サミュエル・ロビンソン(1827–1909)は、1859年1月に死去した父から第2代リポン伯爵位、また同年11月に死去した伯父トマスから第3代ド・グレイ伯爵位を継承している〔〔。彼も政治家として活躍し、様々な閣僚職を歴任している。1880年から1884年にかけてはインド総督を務めている。その彼が1871年6月23日に叙されたのが連合王国貴族爵位「リポン侯爵(Marquess of Ripon)」だった。
しかしその一人息子である2代リポン侯フレデリック・オリヴァー・ロビンソン(1852–1923)に子供がなかったため、彼の死をもって全ての爵位・準男爵位(リポン侯爵位、リポン伯爵位、ド・グレイ伯爵位、グランサム男爵位、ロビンソン準男爵位)が廃絶した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リポン侯爵」の詳細全文を読む




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