翻訳と辞書
Words near each other
・ リムバッハ (オーデンヴァルト)
・ リムバッハ (バーデン)
・ リムバンド
・ リムパック
・ リムパック演習
・ リムパー
・ リムファイア
・ リムファイア弾
・ リムファクシ
・ リムフィヨルド
リムペットマイン
・ リムランド
・ リムリック
・ リムリックFC
・ リムリック・ソビエト
・ リムリック大学
・ リムリック州
・ リムルステスト
・ リムルス試験
・ リムルル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

リムペットマイン : ウィキペディア日本語版
リムペットマイン

リムペットマイン (''limpet mine'') は艦船などに対する破壊工作に用いられる水雷のうち、船底に磁力などで吸着・密着させ、時限ないしは遠隔操作によって爆発させるタイプのものをいう。いわゆる「吸着爆弾」であり、工作員を港湾に潜入させて、艦艇に破壊工作をかけるときに用いられる。使用目的は機雷に類似するが、機雷のカテゴリーには含めない。英語で「limpet」はカサガイ類を意味し、「mine」は元来は鉱山の採掘坑を、転じて要塞への爆破工作のために掘られた地下坑道を経て、機雷や水雷、地雷など軍事上の爆破工作に用いられる装置をも指すようになった語である。カサガイ類と同様、対象物(主に船底)に吸着して仕掛けられる爆破装置であることからこの名がついた。
リムペットマインは工作員やフロッグマンによっても取り付けられる。こうした水雷は通常、水面下での操作を容易なものとするよう、本体の浮力は水よりもわずかに重く設計されている。また通常は時限信管により作動する。こうした水雷の多くは処理防止装置を備え、ダイバーにより船底から引き剥がしたり、爆破によって除去しようとすると自爆する機構を備える。工作員に仕掛けられたものを発見した後、水雷を無効化するには、内部構造を精査し、高爆速の爆薬を使用して信管もしくは電池を破壊する必要がある。
一般に人員で運搬できる程度のサイズで、爆発の威力もそれほど大きくはない。実際の運用では目標艦艇の重要部分であるソナー及び推進装置、スラスター、注排水口付近に仕掛けられる事が多い(この場合は、沈没した船体が回収できれば、修理して再利用することができ、効果は一時的なものにとどまる)。しかし竜骨を損傷するように仕掛けることによって当該船舶の修理を不可能とする程度の重大な損傷を与えることも可能である。しばしばリムペットマインには小型のプロペラが装備され、この装置は艦船が一定距離を航行した後に水雷を起爆させる。これにより、航行に利用される水道内や、容易にはサルベージできない深海域で沈没させることができる。深みに沈んだ場合には沈没原因を特定することは難しくなる。これらは艦船の停泊中にしか設置できず、また設置には大きな危険を伴うために、実戦で使用された例は少ない。
== 歴史 ==
リムペットマインを最初に用いたのはイタリアのダイバーであり、1918年11月1日、彼らはクロアチアプーラ港でテゲトフ級弩級戦艦フィリブス・ウニティスを撃沈した。ダイバーは潜入と水雷の輸送に際して人間魚雷を使用した。
1938年12月、新規の部隊がイギリス軍内で創設され、すぐに軍情報部(研究)として知られることとなった。通常MI(R)と略され、またしばしばMIRともされる。MI(R)は、当初MI(R)cと呼ばれた技術部門を吸収した。1939年4月、MIR部長のジョー・ホーランドは彼の旧友であるミリス・ローランド・ジェフリーズ少佐(1899年--1963年〔Unattributed. Sir Millis Jefferis -- New Weapons Of War (Obituary). The Times 7 September 1963 p. 10 column E.〕)を技術部のディレクターに引き入れ、彼の指導力の下、設計班は手広く新兵器の開発を行った〔National Archive. T 166 -- Hearing 16 November 1953 -- Macrae. Document 320〕。
ジェフリーズの最初期のアイデアの一つに、ボートの後ろに曳航する爆弾の一種があり、これで通過した船舶の船体に爆弾を取り付けられるというものだった。重量級の爆弾を船舶に固着すること、その信頼性が問題だった。そこではっきりした答えは、可能な限り強力な磁石が使われねばならないということだった。
1939年6月、ジェフリーズは当時人気だった科学雑誌『アームチェアー・サイエンス』の一冊を読み、この中には磁石に関する小記事が含まれていた。
1939年6月17日、彼はこの磁石についてもっと情報を得るために雑誌の編集者と連絡を取った。この編集者は発明家スチュアート・マクリーであった。
第一次世界大戦の時、マクリーは航空機から手榴弾を投下する装置の開発に短期間従事しており、彼はこうした挑戦へ復帰し、取り組むことを切望していた。ジェフリーズの連絡が来ると、すぐ彼は実験を行い、試作品を作ると約束した。マクリーはトレーラーハウスとトレーラー雑誌の編集者であり、軽量トレーラー会社の取締役を勤めていたセシル・ヴァンデピール・クラークに連絡した。マクリーは2年前、トレーラーハウスにおけるクラークの研究に感銘を受けていた。また彼はクラークの専門知識と工場の使用を必要としていた〔National Archive. T 166 -- Hearing 16 November 1953 -- Macrae. Document 328.〕。マクリーとクラークはすぐ、新兵器の設計を行う上で協力することに同意した。しかし彼らは、実際的ではないことから、どのようなものであれ曳航式の水雷というアイデアを速やかに断念した。その代わり彼らは、ダイバーが輸送でき、直接艦船に設置できる爆弾に取り組んだ〔National Archive. T 166-21 Awards to Inventors -- Macrae and others.〕。新しい兵器はリムペットマインとして知られることとなった。最初のバージョンは数週間で組み立てられた。この発明品の設計には、吸着のためのリング状の小型強力な磁石が含まれた。また起爆部分には、緩やかに溶解するアニシード・ボールの菓子が用いられたが、これは退避に必須の時間を与えるためだった〔Unattributed. Limpet Bomb Claim By Inventors -- Use Of Aniseed Balls. The Times 17 November 1953 p. 4 column F.〕。
宣戦布告の直前、マクリーの名前がホーランドに示され、彼はマクリーと面会するよう手配した。ホーランドは、マクリーがジェフリーズのための良い副官になるだろうと考えていた。彼はマクリーが有能な管理者であり、彼の才能を適切に維持できるだろうとみなしていた。マクリーは陸軍省に民間人として加わり、ホーランドは1939年10月にマクリーが委員会に加入するよう処置した〔。
クラークは一般人として最高機密の「カルティベーター No.6」計画に参加し、後に軍に入った。彼はコリン・ガビンスと特殊作戦執行部(SOE)に勤務し、後には秘密情報部が持つ養成学校の士官学校長に任命された〔National Archive. HS 9/321/8 -- SOE Personnel File: Cecil Vandepeer Clarke.〕。1942年、彼がMD1に転属したとき、結局マクレーと再会することになった。
第二次世界大戦中、イギリス軍が使用した「リギッド・リムペット(堅いカサガイ)」には爆薬が2.0kg〔; 〕しか充填されていなかったが、水線下2mに仕掛けられたリムペットマインは非装甲の船舶に大きな破孔を開けられた。SOEの工作員は1.5m長の設置用の棒を供給された〔;〕。
陸上で使用するために、「ハマグリ」(Clam)と呼ばれるより小型のバージョンの開発が、イギリス製のリムペットマインから進められた。これがドイツ国防軍陸軍の装甲戦闘車輌に用いられた後、ドイツではこれに対処するためツィンメリット・コーティングを開発した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リムペットマイン」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.