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リュジニャン (Lusignan)は、フランス、ポワトゥー=シャラント地域圏、ヴィエンヌ県のコミューン。ポワティエの南西約25kmのところにある。 ==歴史== フランス王国がサン=ジャン=ダンジェリとリュジニャンを領土に組み入れた。 ユグノー戦争中、ロアン子爵ルイ2世がリュジニャンを掌握していたにもかかわらず、1575年にモンパンシエ公ルイ3世(オラニエ公妃シャルロットの父)が都市を包囲し飢餓に追い込み、陥落させた〔Guerres de religion-Miquel p 308〕。 中世の砦であったリュジニャン城は、リュジニャン伯の妻メリュジーヌが建てたという伝説が残る、リュジニャン家(のちにキプロス王国やエルサレム王国の支配者となる)の本拠地であった。この城はベリー公のいとも豪華なる時祷書に登場する。1574年、城は砲撃を受け破壊された。原型のスケッチ画が、フランス国立図書館に保管されている。 リュジニャン住民が自らを『メリュザン』(''Mélusins''、男性形)または『メリュジーヌ』(''Mélusines''、女性形)と呼ぶのは、リュジニャン家の祖メリュジーヌに関連している〔Gentilé sur le site habitants.fr Consulté le 27/09/2008.〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リュジニャン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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