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リュック・ポワリエ(Luc Poirier、1961年1月9日 - )は、カナダの元プロレスラー。ケベック州モントリオール出身のフランス系カナダ人。 現役選手時代はヨーロッパを主戦場に活動。日本には1990年代前半、ムッシュ・ランボー(Monsieur Rambo)のリングネームで新日本プロレスに度々来日した。 == 来歴 == 地元モントリオールのレジェンドであるエドワード・カーペンティアとジノ・ブリットのトレーニングを受け、1982年にデビュー。モントリオールを本拠地とするIWAにて、マスクド・マーベル(The Masked Marvel)またはザ・マーセナリー(The Mercenary)を名乗り、覆面レスラーとなって活動した。1985年には素顔のリュック・ポワリエ名義でジョバーとしてWWFに出場、ハート・ファウンデーション(ブレット・ハート&ジム・ナイドハート)やザ・スポイラーと対戦している〔。 1980年代後半に渡欧し、オットー・ワンツの主宰するCWAにて、傭兵スタイルのランボー(Rambo)に変身。スティーブ・ライトやデビッド・テイラーなど技巧派のベテラン勢との対戦でキャリアを積み、 大型の外国人ベビーフェイスとして人気を集め、1991年7月6日にはオーストリアのグラーツでブル・パワーからCWA世界ヘビー級王座を奪取。以降も1993年7月3日にロード・ウォリアー・ホーク、1996年12月21日にルドヴィッグ・ボルガを破って戴冠〔。王者時代はケン・パテラ、テリー・ファンク、テッド・デビアス、ザ・ウォーロード、ザ・バーバリアン、パパ・シャンゴ、カクタス・ジャックらの挑戦を退け〔、CWAのエースとなって活躍した。 日本には1991年1月に「ムッシュ・ランボー」の名義で新日本プロレスに初来日。その後も新日本の常連外国人選手となり、ビッグバン・ベイダーことブル・パワーとの因縁の対決も日本で再現している。1993年2月の来日時は両国国技館にてトニー・ホームと組み、ヘルレイザーズ(ホーク&パワー・ウォリアー)のIWGPタッグ王座に挑戦した。新日本には1995年3月まで通算6回来日し、1997年5月には格闘探偵団バトラーツに参戦している。 1997年7月にCWA世界王座を返上して欧州を離れ、テネシー州メンフィスのUSWAに登場。傭兵スタイルはそのままに、スナイパー(Sniper)と改名してヒールに転向し、南アフリカの治安部隊をギミックとしたユニット「トゥルース・コミッション(The Truth Commission)」に加入。同年の末からはWWFに進出し、ザ・ジャッカルをマネージャーにインテロゲーター&リーコンとのトリオで活動、ディサイプルズ・オブ・アポカリプスやリージョン・オブ・ドゥームと軍団抗争を展開した。 1998年4月にWWFを退団し、カナダのインディー団体を転戦後、CWAに再登場。同年12月19日、ドイツのブレーメンにてビッグ・タイトンを破り、CWA世界ヘビー級王座への4度目の戴冠を果たしている〔。以降、CWAが活動を停止する1999年12月までタイトルを保持し、同王座の最後のチャンピオンとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リュック・ポワリエ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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