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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
リューデスハイム・アム・ライン(Rüdesheim am Rhein)は、ユネスコの世界遺産であるライン渓谷中流上部にあるワイン醸造の町である。ドイツ・ヘッセン州ダルムシュタット行政管区にある。公式の名称はリューデスハイム・アム・ライン(Rüdesheim am Rhein)であり、それによってリューデスハイム・アン・デア・ナーエ(Rüdesheim an der Nahe)と区別される。 ==歴史== この地域には、最初ケルト人が定住していたが、紀元後にはウビー族、マッティアチ族が取って代わった。1世紀になるとローマ人がタウヌスまで進出した。ローマ人はビンゲン・アム・ラインに砦を築き、その対岸、すなわち現在のリューデスハイム付近にはリーメスへ向かう道の途中に橋頭堡を築いた。その後、ローマ人はアラマンニ人に追われ、民族移動時代の到来とともにフランク人がやって来た。考古学の成果によれば、この頃のガラスが発見されているので、その頃からリューデスハイムではワイン造りが行われていた事が示唆される。フランク語のHaufendorf(「木立の村」といった意味)という町名は現代の地図にも載っている地名である。 リューデスハイムの名は1074年の文献に初めて登場する。その生計は主にワイン製造と筏による水運業によっていた。 1818年1月1日、リューデスハイムは町の権利を取得した。 プロイセン王国が1867年にナッサウ公国を併合して、その地域がいくつかの郡 (Kreis) に分割されると、リューデスハイムは新設されたラインガウ郡の郡庁所在地となった。その後、1977年に行われたヘッセン州の自治体再編の際にラインガウ郡はウンタータウヌス郡と合併してラインガウ=タウヌス郡となり、この時リューデスハイムは郡庁所在地の地位をバート=シュヴァルバッハに引き渡さねばならなかった。しかしながら、リューデスハイムの知名度は高いため、車のナンバープレートに表示される地名はRÜDのまま変更されなかった。 ニーダーヴァルト記念碑は1877年に建造がはじまり、1883年に完成した。この愛国的な記念碑は町を見下ろす高台にあり、完成当初はラック式鉄道を利用して多くの観光客が訪れたが、現在ではロープウェイによってこの高台まで上がる事が出来る。観光業は水運業に代わる収入源として成長しつつある。 1970年には、「Rudesheim liegt nicht an der Themse」(リューデスハイムはテムズ川にはない)と題したシングル曲がリリースされた。この曲はイギリスの歌手David Garrickによるもので、この曲は大ヒットした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リューデスハイム・アム・ライン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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