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リューネブルク侯領 : ミニ英和和英辞書
リューネブルク侯領[りゅーねぶるくこうりょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [こう]
  1. (n,n-suf) marquis 2. lord 3. daimyo 

リューネブルク侯領 : ウィキペディア日本語版
リューネブルク侯領[りゅーねぶるくこうりょう]

リューネブルク侯領ドイツ語:Fürstentum Lüneburg)は、神聖ローマ帝国に属する領邦国家の1つ、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国の分邦。1269年から1705年までヴェルフ家ブラウンシュヴァイク=リューネブルク家)が治めた。名称は侯領の初期の首都リューネブルクに因む。リューネブルク市は1370年以降は侯領には属さず、1637年までブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国全体の共同管理地域であった。そしてリューネブルクに代わってツェレが侯領の首都となった。この為リューネブルク=ツェレ、あるいはツェレと呼ばれる事もある。
リューネブルク侯領は1269年、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公オットー1世の次男ヨハンが兄アルブレヒト1世に自らの分領相続を要求して、ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国を分割させた時に成立した。ヨハンの男系直系子孫は1369年に絶え、その遺領継承を巡ってザクセン=ヴィッテンベルクを治めるアスカーニエン家と本家筋でアルブレヒト1世の子孫のブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯との間でリューネブルク継承戦争が起きた。リューネブルク侯領は短期間ザクセン=ヴィッテンベルク公の支配を受けたが、1388年にはヴォルフェンビュッテル侯の支配下におかれた。1527年から1641年まで、ハルブルク(現在のハンブルクの一部)を侯の居所とする分邦ハルブルク侯領が存在した。
1582年、リューネブルク侯ヴィルヘルムホーヤ伯領の半分を相続し、1585年にはディーフォルツ伯領を手に入れた。1617年クリスティアングルベンハーゲン侯領を相続、1641年にフリードリヒ4世がハルブルク侯領を相続した。そして1689年にはゲオルク・ヴィルヘルムザクセン=ラウエンブルク公国を獲得した。1648年からはツェレを居所とするリューネブルク侯の弟か甥達が常にカレンベルク侯領を統治した。
リューネブルク侯領とカレンベルク侯領はその後、共にブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯領の一部を形成する事になった。同選帝侯領はカレンベルク侯領の首都ハノーファーに因み、ハノーファー選帝侯領と呼ばれた。
== 関連項目 ==

*リューネブルク君主一覧


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リューネブルク侯領」の詳細全文を読む




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