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リューベック条約 : ミニ英和和英辞書
リューベック条約[りゅーべっくじょうやく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
条約 : [じょうやく]
 【名詞】 1. treaty 2. pact 
: [やく]
  1. (adv,n) approximately 2. about 3. some 

リューベック条約 : ウィキペディア日本語版
リューベック条約[りゅーべっくじょうやく]
リューベックの和約()とは、三十年戦争中の1629年5月22日リューベックで締結された神聖ローマ帝国とデンマークとの和平条約である。
== 背景 ==
ホルシュタイン公かつニーダーザクセン・クライスの長として北ドイツで覇権を打ち立てようとしたデンマーク王クリスティアン4世は、自分の指揮下に軍隊の動員をおこなった。彼は領土獲得の野心の他に、プロテスタント諸侯を支援するという宗教上の関心も挙げていた。
1625年春に必要とされた軍隊を保持して、たいした抵抗に遭うことなくザクセンへ進駐した。その1年後ようやくクリスティアンは特記すべき敵軍に遭遇した。ヴァレンシュタインである。彼は独自の手段で皇帝フェルディナント2世のために大軍を用立て、皇帝軍全軍の最高指揮権を獲得した。ヴァレンシュタインはティリー指揮下のカトリック同盟(リーガ)の軍隊と協力して、デンマーク軍を帝国北部から駆逐することに成功した。ヴァレンシュタインは1626年4月25日にデッサウの戦いで初戦を勝利で飾り、ティリーはクリスティアン4世の軍隊を1626年8月27日ルッターの戦いで破った。両軍はその後合流し、帝国北部を全て占領し、デンマークに迫った。デンマーク王クリスティアン4世は退却を強いられ、1628年に北ドイツ沿岸に対する攻撃によって敗北を防ごうと試みたが、最終的には1629年初頭に和平交渉を希望した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リューベック条約」の詳細全文を読む




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