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リンダ・ロンシュタット : ミニ英和和英辞書
リンダ・ロンシュタット
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


リンダ・ロンシュタット : ウィキペディア日本語版
リンダ・ロンシュタット

リンダ・ロンシュタットLinda Ronstadt, 1946年7月15日- )は、アメリカ合衆国アリゾナ州ツーソン出身の歌手ミュージシャンである。
== バイオグラフィー ==
ドイツメキシコイングランドの血を引く両親の間に生まれる。父親もミュージシャンで、10代からギルバート&サリバン(アーサー・サリヴァンウィリアム・S・ギルバート)などを聴き始め、その他にもビリー・ホリデイサラ・ヴォーンなどの女性ジャズシンガーなどに影響を受けながら、カリフォルニアへ移り、音楽へ傾倒し始める。
リンダはアリゾナ大学を1年で退学した後1967年、女性1人、男性2人のスリーピース・バンド「ストーン・ポニーズ」のボーカルとしてデビューした。このグループのリーダー、ボブ・キンメルは、当初リンダをフィーチャーした5人編成を予定していたが、グレイス・スリックをフィーチャーしたジェファーソン・エアプレインが「あなただけを(Somebody to Love)」のヒットを放って脚光を浴び、さらに女性ヴォーカルをフィーチャーしたスパンキー&アワー・ギャング(Spanky & Our Gang)がデビュー、といったように他のグループに先行され、当初の5人編成のプラン変更を余儀なくされた。このバンドは当時、一世を風靡していたママス&パパスラヴィン・スプーンフルの流れを汲む、カントリー&ウェスタンの要素が取り入れられたフォーク・ロックのグループであった。1967年、セカンド・アルバム『Evergreen Vol. 2』からのリカット・シングル「悲しきロック・ビート」(デイファラント・ドラム)が、1968年になってベスト・テン入りを果たすビッグヒットとなって一躍注目を浴びた。しかし、その後はヒットは出せず、バンドは解散した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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