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リンプ・ビズキット : ミニ英和和英辞書
リンプ・ビズキット
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


リンプ・ビズキット : ウィキペディア日本語版
リンプ・ビズキット

リンプ・ビズキット(''Limp Bizkit'')は、アメリカ合衆国ニュー・メタルバンド



==来歴==

*1994年 - ヴォーカリストのフレッド・ダースト(Fred Durst)と友人のベーシスト、サム・リヴァース(Sam Rivers)がフロリダ州ジャクソンビルにて結成。後にリヴァースの従兄弟でドラマーのジョン・オットー(John Otto)、さらにギタリストのウェス・ボーランド(Wes Borland)、ハウス・オブ・ペインのサウンド・クリエイター、DJ リーサル(DJ Lethal)を加えてデビュー時のラインナップとなる。
*ジャクソンビルにライヴに来ていたコーンのメンバーに、入れ墨を彫りに来たダーストがデモを渡し、それがきっかけでデビューすることになったというのは有名な逸話だが、これは誤り。実際は、ダーストがいつの間にかコーンのツアーバスにリンプのデモテープを放り込み、そのデモを気に入ったメンバーがパーティーに呼び、デビューが決まった。そこで酔ったフレッドがコーンのギタリストの背中にタトゥーを彫ったという。KoЯnと彫ったつもりが酔っていたせいでKeЯnと綴りを間違えた。
*1997年 - デビュー・アルバム『スリー・ダラー・ビル、ヤ・オール$』(''Three Dollar Bill, Yall$'')に収録された、ジョージ・マイケルのカヴァー「フェイス」のミュージック・ビデオMTVでヘヴィー・ローテーションされたことで人気が爆発。アルバムは、全米で200万枚を超えるセールスを記録。
*1999年 - 2作目のアルバム『シグニフィカント・アザー』(''Significant Other'')発売。全米初登場1位。全米で700万枚を超えるセールスを記録。
*2000年 - 3作目のアルバム『チョコレート・スターフィッシュ・アンド・ザ・ホットドッグ・フレイヴァード・ウォーター』(''Chocolate Starfish And The Hot Dog Flavored Water'')発売。全米初登場1位。ロック・アルバムの初動売り上げ記録を更新。累計1200万枚を越す大ヒットを記録。
*2001年 - 音楽性の違いから、ギタリストでソング・ライティングの要であったボーランドが脱退。後任ギタリストに、元スノットマイク・スミスを据えて活動を続ける。過去楽曲のリミックス・アルバム、ニュー・オールド・ソングス(''New Old Songs'')を発売。
*2003年 - 4作目のアルバム『リゾルツ・メイ・ヴァリー』(''Results May Vary'')発売。全米初登場3位。リンプらしくないと批判を浴びる。一部のライヴでは観客からブーイングが巻き起こる。このアルバムのみバンドロゴを''limpbizkit''としている。
*2004年 - 公式サイトにて、ウェス・ボーランドの復帰が伝えられる。
*2005年 - ノンプロモーションで5枚目のアルバムとなる『「真実への逃避」〜ジ・アンクエスチョナブル・トゥルース (第一幕)』(''The Unquestionable Truth (Part 1)'')を発表。全米初登場24位。さらに、初のベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』(''Greatest Hitz'')とビデオ集『グレイテスト・ヴィデオズ』(''Greatest Videoz'')を発売。
*2006年 - ギタリストのウェス・ボーランドが再脱退。それにともないバンド活動を一時休止。
*2008年 - バンド復活ツアーと活動再開を発表。ツアーギタリストにはエヴァネッセンステリー・バルサモが同行した。余談だが、テリー・バルサモはウェスがバンドに加わる以前の1995年に、一時的にバンドメンバーとして加わっていた。
*2009年 - Download Festivalのオーガナイザーが、「ウェス・ボーランドはLimp Bizkitに戻ったのか?」という質問に対し、「Yes、100パーセント。」というコメントをしている。
*ウェスの復帰が正式に発表され、同年、"Rock Am Ring"や"Rock Im Park"などでライヴ活動を再開。SUMMER SONIC 09にも出演。
*2011年 - ウェス完全復帰のもと、完全新作の6枚目のスタジオ・アルバム、『ゴールド・コブラ』(''Gold Cobra'')を発売。全米初登場16位。しかし、バンドはこのアルバムを最後にインタースコープ・レコードを離脱。10月には、ヘヴィメタルフェスティバルLOUD PARK11に参加のため来日。
*2012年 - 新たにキャッシュ・マネー・レコードと契約を交わす。ところが、フレッド・ダーストとジョン・オットー、DJ リーサルとの間でドラッグ・アルコールをめぐる問題で口論となり、DJ リーサルが急遽脱退してしまう。一度は復帰したいことをほのめかしていたが、結局バンドから解雇された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リンプ・ビズキット」の詳細全文を読む




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