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リーディング証券株式会社(リーディングしょうけん)は、東京都中央区に本社を置く証券会社。茨城県下館市(現在の筑西市)が発祥地であり、店舗網は東京都及び茨城県が中心である。韓国リーディング投資証券が出資している。 ==沿革== ===茨城証券=== 1949年創業。合併を経て茨城証券となり、茨城県下に3店舗を持つ地方証券会社として営業を行っていた。しかし1993年、証券取引法の改正で最低資本金制度が導入され、資本金7000万円の茨城証券は、経過期間が終了する1998年4月までに資本金を1億円以上にしなければ廃業を余儀なくされることになった。茨城証券は当時筆頭株主であった山一證券からの増資によってこれに対応しようとしていたが〔「茨城証券オーナーに斉藤氏 独立系証券で再出発 山一廃業による危機回避」『日本経済新聞』1998年(平成10年)2月17日付地方経済面(茨城)。〕、山一證券は1997年11月に自主廃業を発表、茨城証券は山一に取り次いでいた売買注文を他社に振り替えるとともに〔「山一廃業 県内にも影響 売買注文取り次ぎ相手の変更相次ぐ 茨城証券、資本関係見直しへ」『日本経済新聞』1997年(平成9年)11月26日付地方経済面(茨城)。〕、最低資本金問題についても別の解決策を求められることになった。 一方、山一関係の知人を通じて最低資本金問題を聞きつけた元大昭和製紙専務の齊藤四方司は、この年の夏から山一を介して資本参加を打診していた。齊藤は大昭和製紙でも財務関係を担当していたことから証券業には関心を持っていたが、茨城証券は赤字ながら自己資本規制比率は580%と高く、規模も3店舗・従業員数27人と手頃であったことから参加を決めた。山一の自主廃業発表によりこの案は急速に具体化〔「核心を聞く 茨城証券 トップ就任 茨城証券会長兼社長 斉藤 四方司氏 良好な財務体質、評価 投資信託や外債を強化」『日本経済新聞』1998年(平成10年)4月1日付地方経済面(茨城)。〕、1998年2月、齊藤は個人の貯蓄から3億円を出資して山一保有株8万866株を買い取り〔「元大昭和製紙専務の斉藤四方司氏 茨城証券オーナーに 3億円出資」『日本経済新聞』1998年(平成10年)2月17日付朝刊7面。〕〔「大昭和製紙の創業者一族 茨城証券を買収 山一系列 3億円出資」『朝日新聞』1998年(平成10年)2月18日付東京本社朝刊13面。〕、増資分8万株も引き受けた。この結果齊藤は発行済み株式の73.1%を保有する筆頭株主となり、3月の取締役会で会長に就任した〔「斉藤四方司氏の会長就任 茨城証券が正式決定」『日本経済新聞』1998年(平成10年)3月3日付地方経済面(茨城)。〕。3月末には山一OBの〔「交差点 救済の経験生かせず」『日本経済新聞』1998年(平成10年)2月25日付地方経済面(茨城)。〕苅米宰督社長が退任し、齊藤が社長も兼務した〔「茨城証券 社長に西川氏」『日本経済新聞』1998年(平成10年)4月7日付地方経済面(茨城)。〕。この茨城証券の処理は、旧山一系企業がいずれも引き受け先探しに難航する中では異例の早さであった〔「山一証券解体に課題山積 進まぬ社員の再就職 系列会社処理にも遅れ…」『熊本日日新聞』平成10年(1998年)3月1日付朝刊3面。〕〔「山一系列企業 投信に新出資先/証券は苦戦 株主探しで明暗」『熊本日日新聞』平成10年(1998年)4月1日付朝刊6面。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リーディング証券」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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