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リード・フレアー : ミニ英和和英辞書
リード・フレアー[ふれあ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
フレア : [ふれあ]
 (n) flare, (n) flare

リード・フレアー : ウィキペディア日本語版
リード・フレアー[ふれあ]

リード・フレアー(''Reid Flair''、1988年2月26日 - 2013年3月29日)は、アメリカ合衆国プロレスラー
本名、リチャード・リード・フレイアー(''Richard Reid Fliehr'')、ノースカロライナ州シャーロット出身。
ネイチャー・ボーイとして知られるリック・フレアーの息子。姉はWWEの傘下団体NXTシャーロットのリングネームで活動しているアシュリー・フレアー。異母兄弟にデビッド・フレアーがいる。
== 来歴 ==
プロレスに興味がなかった異母兄弟の兄であるデビッドとは違い、幼少時代からプロレスラーを志す。高校時代にはアマレスで多数の賞を獲得。父のリックを尊敬しており、大会中に他校の選手からリックを馬鹿にされたことに激怒し喧嘩をして問題を起こしたことがある。
1998年、過去に存在したメジャー団体であったWCWでテレビ初登場し、エリック・ビショフと試合をして勝利し、2000年にはリックとタッグを組んで、ビンス・ルッソーと試合するなど二度のプロレスの試合を経験している。
2008年WWEホール・オブ・フェイムにて、リックの殿堂入りを家族と共に出演。そしてプロレスラーとなるためにハーリー・レイスが主宰するWLWの練習生として本格的にトレーニングを開始。12月にリックとハルク・ホーガンの共同主催のスーパーショーにてプロレスラーとしてデビューを果たす。タッグパートナーはリックとデビッド、相手はナスティ・ボーイズジミー・ハート。そしてレフェリーにはホーガンという豪華なメンバーであった。
2009年からNWAの加盟団体を転戦し、グレッグ・バレンタインCW・アンダーソンバフ・バグウェルといった往年の名レスラーたちの胸を借りて試合をこなし、NWAミッドアトランティック・ヘリテイジ王座を獲得。
2010年5月、リックが所属するTNAと未契約ながら所属レスラーとして在籍。また、同年にはデビッドと共にLucha Libre USAに参戦している。
2013年1月、初来日し、全日本プロレスに参戦。同月26日の新春シャイニング・シリーズにて出場予定となっていたリックが大会開始前に欠場することが決定したために代理で出場。武藤敬司とタッグを組み、藤波辰爾 & 真田聖也組と対戦するが敗れた。全日本プロレスには初参戦後、引き続きツアーに同行した。
全日本プロレス参戦後、アメリカに帰国するが、3月29日にシャーロットのホテルにて死去した姿が発見された。死因については不明であるが、薬物の過剰摂取が原因と見られている〔"Flair News: Updated - Reid Flair reportedly dies at age 24" Pro Wrestling Torch、2013年3月29日閲覧。〕。4月にはリックとBTW(Big Time Wrestling)に参戦する予定であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「リード・フレアー」の詳細全文を読む




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