|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ロナルド・リー・アーメイ(Ronald Lee Ermey, 1944年3月24日 - )は、アメリカ海兵隊の軍人、俳優。ニックネームは「ガニー(Gunny)」(Gunnery Sergeant:一等軍曹の略称)〔ヒストリーチャンネルジャパンの番組内では「ガニー軍曹」と訳されているが「ガニー」自体が一等軍曹の意味を持つので、正確に言えば意味が重複している〕海兵隊時代には教練指導官も務めた。身長は180cm〔ガニー軍曹のミリタリー大百科より〕 軍を退役後に映画『フルメタル・ジャケット』でのハートマン軍曹に代表されるような極めて居丈高な軍人・父親役を演じた。 ヒストリーチャンネルの番組Mail Call や、Lock N' Load〔ヒストリーチャンネルジャパンでは「ガニー軍曹のミリタリー大百科」として放送〕の司会を務める。また、オーストリアの銃器メーカーであるグロック社のオフィシャル・スポークスマンでもある。 2002年5月、海兵隊司令官ジェームズ・L・ジョーンズ大将によって、一等軍曹(E-7)へと名誉昇進した。米海兵隊の歴史上、退役者が昇進したのは彼が初めてである。これによってニックネームの「ガニー」が事実となった〔それまでは「フルメタル・ジャケット」で演じた「ハートマン軍曹」にちなんで呼ばれていただけである〕。 == 経歴 == カンザス州エンポリア生まれ。10代の頃は札付きの不良で、判事から「軍隊に行くか刑務所に入るか選べ」と迫られたという。1961年海兵隊入隊。後に、彼は「(海兵隊が)俺のやくざな生き方を止めた」("put a screeching halt to my unconventional manner")と述懐している。1965年から1967年までの2年間、カリフォルニア州サンディエゴの海兵隊サンディエゴ新兵訓練所 (MCRD San Diego) で、教練指導官(ドリル・インストラクター、DI)として勤務。 1968年、第17海兵航空支援群の一員としてヴェトナムで戦う。沖縄でも2度ほど勤務する。この間何度も負傷し、1972年二等軍曹で傷痍除隊。しかし、負傷は戦闘によるものではないという事でパープルハート章は授与されなかった。 現在もPTSD(心的外傷後ストレス障害)とみられる戦闘経験の悪夢と闘っている。 彼の映画デビューは除隊後、復員軍人奨学金 (G.I. Bill) を得てフィリピンのマニラ大学で犯罪学と演劇を学んでいたときである。彼は映画『地獄の黙示録』にヘリコプターパイロット役として出演し、またフランシス・コッポラ監督のテクニカルアドバイザーとして参加した。そしていくつかの映画で脇役を務めた後の1987年、スタンリー・キューブリック監督の映画『フルメタル・ジャケット』で教練指導官のハートマン軍曹役で出演。当初、彼はテクニカルアドバイザーとして参加していたが、演技指導で彼の罵詈雑言の迫力を見たキューブリック監督により、ハートマン軍曹役そのものが与えられた。軍曹の台詞の一部は彼が手がけ、また一部の演技は彼のアドリブである〔これはアドリブなどを基本的に許さないキューブリック監督にしてはかなり異例である〕。キューブリック監督は彼を「これまで仕事をしてきた中で最高の俳優の一人で、1シーン撮るのにたった2、3回のテイクで十分〔キューブリックはワンシーンに何十回も撮影を行うことで有名〕だった」と評している。ちなみに、彼のセリフを翻訳する際は忠実に訳すことが条件であった。この映画出演がきっかけになり、キューブリック監督とは友人となった。キューブリック監督は死の直前に彼との会話で自身の遺作『アイズ ワイド シャット』を駄作と告白していたと彼は語っている。フルメタル・ジャケットにおける彼の演技は批評家たちの激賞を受け、ゴールデングローブ賞の最優秀助演男優賞にノミネートされた。 その後も、約60本の映画に出演し、またアニメやゲームソフトの声優、テレビ番組の司会などとして活躍している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「R・リー・アーメイ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 R. Lee Ermey 」があります。 スポンサード リンク
|