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ルイ1世ダンジュー : ミニ英和和英辞書
ルイ1世ダンジュー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ルイ1世ダンジュー ( リダイレクト:ルイ1世・ダンジュー ) : ウィキペディア日本語版
ルイ1世・ダンジュー[るい1せいだんじゅー]

ルイ1世・ダンジュー(Louis I d'Anjou, 1339年7月23日ヴァンセンヌ - 1384年9月20日バーリ近郊のビゼグリア城)は、フランスジャン2世と妃ボンヌの次男。ヴァロワ=アンジュー家の祖。兄にシャルル5世、弟にベリー公ジャン1世ブルゴーニュ公フィリップ2世(豪胆公)がいる。ポワティエ伯(在位:1350年 - 1384年)、アンジュー伯(在位:1356年 - 1360年)、アンジュー公(在位:1360年 - 1384年)、メーヌ伯(在位:1356年 - 1384年)、トゥーレーヌ公(在位:1370年 - 1384年)、名目上のナポリエルサレムの王およびプロヴァンス伯(在位:1382年 - 1384年)。イタリア語名ではルイージ1世・ダンジョ(Luigi I d'Angiò)。また、コンスタンティノープルの皇帝(ラテン帝国の皇帝)も称し(在位:1383年 - 1384年)、1380年のプロヴァンス遠征以降はプロヴァンス伯とともにフォルカルキエ伯にもなる。1370年にメーヌ伯領をトゥーレーヌ公領と交換した。
兄のフランス王シャルル5世に仕え、国王軍の指揮官、ラングドックにおける王の代理として兄の治世の中心人物であった。南仏での統治は次第に不評を増したので、弟のベリー公ジャンと交代させられた。
1380年にナポリ女王ジョヴァンナ1世の養子となり、アヴィニョン教皇クレメンス7世の支持を取り付けて南イタリアに進出した。1382年頃までは甥シャルル6世の摂政会議を主催していたが、ナポリ王国、プロヴァンス伯領での利権に関心を移した。ナポリでは、ジョヴァンナの又従弟で彼女を暗殺したカルロ3世ハンガリー王カーロイ2世、アンジュー=シチリア家傍系出身)と激しく争った。結局王位を奪えないまま死去したが、ナポリ王位をめぐる争いはそれぞれの息子ルイ2世・ダンジューラディズラーオに引き継がれていった。
== 子女 ==
ブルターニュ公シャルル・ド・ブロワの娘マリーと1360年に結婚した。
*マリー(1370年 - 1383年)
*ルイ2世(1377年 - 1417年)
*シャルル(1380年 - 1404年)







抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルイ1世・ダンジュー」の詳細全文を読む




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