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ルイサ・フェルナンダ・デ・ボルボーン : ミニ英和和英辞書
ルイサ・フェルナンダ・デ・ボルボーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ルイサ・フェルナンダ・デ・ボルボーン : ウィキペディア日本語版
ルイサ・フェルナンダ・デ・ボルボーン[ちょうおん]

ルイサ・フェルナンダ・デ・ボルボンLuisa Fernanda de Borbón, 1832年1月30日 - 1897年2月2日)は、モンパンシエ公アントワーヌの妻。
スペインフェルナンド7世と王妃マリア・クリスティーナ・デ・ボルボンの次女としてマドリードで生まれた。同母姉イサベル2世が幼くして即位したことから、イサベル2世王女イサベルが誕生する1851年まで、長きにわたって王位継承順位第1位の立場にあった。
姉イサベル2世は従兄のフランシスコ王子と婚約していたが、王子が同性愛者であるとする噂が広まっていた。これを耳にしたフランス王ルイ・フィリップは、イサベル2世に子供がない場合ルイサ・フェルナンダ王女に王位が継承されるとし、自らの末子であるモンパンシエ公アントワーヌとの婚約を成立させた。
1846年10月10日、イサベル2世とフランシスコ王子、ルイサ・フェルナンダとモンパンシエ公の結婚式が同時に執り行われた。アントワーヌは結婚によってスペイン王子(Infante de España)の身分を得た。彼がスペイン王位継承を企んだために、ルイサ・フェルナンダとイサベル2世の仲は緊張することとなった。モンパンシエ公夫妻はマドリードを離れざるをえなくなり、セビーリャで暮らした。
イサベル2世の退位と亡命で、ルイサ・フェルナンダ一家も国外へ亡命した。晩年、未亡人となったルイサ・フェルナンダはセビーリャへ戻り、そこで没した。遺体はエル・エスコリアル修道院へ埋葬された。
==子女==

*マリア・イサベル(1848年 - 1919年) - パリ伯フィリップの妻
*マリア・アマリア(1851年 - 1870年)
*マリア・クリスティーナ(1852年 - 1879年) - 妹マリア・デ・ラス・メルセデスの死後、アルフォンソ12世と婚約するが、挙式前に肺結核で死去。
*マリア・デ・ラ・レグラ(1856年 - 1861年)
*フェルナンド(1959年 - 1873年)
*マリア・デ・ラス・メルセデス(1860年 - 1878年) - アルフォンソ12世妃となるが急逝。
*フェリーペ(1862年 - 1864年)
*アントニオ(1866年 - 1930年) - ガリエラ公。スペイン王女エウラリアと結婚。
*ルイス・マリーア(1867年 - 1874年)



category:1897年没

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルイサ・フェルナンダ・デ・ボルボーン」の詳細全文を読む




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