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ルイス・エルネスト・アパリシオ・モンティエル(Luis Ernesto Aparicio Montiel, 1934年4月29日 - )は、ベネズエラのマラカイボ出身の元メジャーリーグベースボール選手(遊撃手)。右投げ右打ち。ニックネームは"Little Louie"(リトル・ルーイ)。 == 経歴 == 父もベネズエラで遊撃手として活躍した野球選手だった。また、アパリシオの叔父と共にウィンターリーグのチームを所有していた。 1954年にシカゴ・ホワイトソックスに入団し、1956年にMLBデビュー。新人ながら152試合に出場して打率.266を残し、21盗塁で盗塁王にもなった。その結果として、新人王を獲得する。その後は打撃こそ一流とは言えないものの(打率3割は1度だけ)、俊足好守の遊撃手として活躍し、39歳で引退する1973年まで18年続けてレギュラーで出場。出場試合数も最少が1972年の110試合と、安定感もあった。 アウトになった回数8110回は歴代11位という不名誉な記録も作ってしまっているが、18年連続でレギュラーだっただけのことはあって、通算2601試合は歴代35位、通算10230打数は歴代20位、通算506盗塁は歴代34位、盗塁王9回、ゴールドグラブ賞9回、オールスター選出10回などといった輝かしい記録も数多く残している。特にゴールドグラブ賞9回は後にオジー・スミスに破られるまで、遊撃手として最多の記録であった。 1984年に南米出身者として初めてアメリカ野球殿堂入りを果たし、同年にアパリシオのホワイトソックス在籍時の背番号『11』は永久欠番に指定された。また、11番はベネズエラ代表の永久欠番にも指定されている。 ホワイトソックスが46年ぶりにワールドシリーズに進出した2005年のワールドシリーズ第1戦では始球式を務めた。 2006年、ホワイトソックスの本拠地USセルラー・フィールドに等身大の像が建てられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルイス・アパリシオ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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