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ルイス・エチェベリア : ウィキペディア日本語版
ルイス・エチェベリア

ルイス・エチェベリーア・アルバレス(Luis Echeverría Álvarez、1922年1月17日 - )は、メキシコ政治家1970年12月1日から1976年11月30日まで、メキシコ合衆国第50代の大統領を務めた。
エチェベリーアは1922年1月17日にメキシコシティで生まれ、メキシコ国立自治大学法学部を卒業後、制度的革命党に入党し、政治家の道を歩んだ。ロドルフォ・サンチェス・タボアーダの個人秘書を務めた後、グスタボ・ディアス・オルダス政権下で1964年から1970年まで内務大臣を務めた〔「メキシコを知るための60章」p294 明石書店 2005年2月25日初版第1刷〕。内務大臣時代の1968年10月2日、エチェベリーアはメキシコシティ北部のトラテロルコ広場に集まった平和的な学生デモを武力で鎮圧し、多くの犠牲者を出した。トラテロルコ事件である。これにより抗議デモは鎮静化し、10日後の10月12日からの予定だったメキシコオリンピックは無事開催されたが、この事件はエチェベリーアとディアス・オルダス、さらには制度的革命党に対する不満の引き金となり、以後制度的革命党の党勢は長期衰退傾向に入り〔「メキシコを知るための60章」p280-284 明石書店 2005年2月25日初版第1刷〕。、エチェベリーア自身もこの事件の責任を後年問われる事となった。
1970年にはエチェベリーアはディアス・オルダスに指名されて制度的革命党の大統領候補となり、当選後12月1日から大統領の座に着いた。
政権を握ると、エチェベリーアはポピュリスト型の政策をとって国内融和に腐心した。社会保障を拡充し、社会保障の対象となる国民の数は彼の時代に倍増した〔Gendered struggles against globalisation in Mexico by Teresa Healy〕。シナロア州ソノラ州を中心に農地改革を再び加速させた。また、経済民族主義の立場をとって国外からの投資を制限して国内のモンテレイ・グループと呼ばれる企業家層とも対立し、電気や鉱業部門を国有化して、領海を沿岸より370kmにまで拡大した。一方で観光業の振興に取り組み、アカプルコに代わるあらたな観光地としてカンクンの開発に着手し、現在の一大リゾートの礎を築いた。また、外資に厳しい姿勢にもかかわらずマキラドーラの拡大を推奨した。アメリカの拡張主義を批判し、シオニズムにも批判的姿勢をとってパレスチナ解放機構の事務所のメキシコ開設を許可し、チリサルバドール・アジェンデ左翼政権を支援した。
しかしこのような政策は経済の失調を招き、1973年の外資法施行によって国外からの投資が急減し、1976年には経済危機を招いてIMFの緊急支援を受けることとなった〔「現代メキシコを知るための60章」p141 明石書店 2011年7月10日初版第1刷〕。債務は1970年の60億ドルから1976年には200億ドルにまで急増し、また公営企業の非効率と汚職、縁故主義が批判されるようになった。1976年には後継候補にホセ・ロペス・ポルティーヨを指名し、彼の当選によって大統領を退任した。
==脚注==







抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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