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ルイス・エレラ(Luis Herrera、1961年4月4日- )は、コロンビア・クンディナマルカ地域圏のフサガスカ出身の元自転車競技選手。愛称はルーチョ(Lucho)、エル・ハルディネリート・デ・フサガスガ(フサガスガの小さな植木屋さん)。 ==経歴== 11歳の時に母親からプレゼントされた自転車で通学とサイクリングを始めるが、その後家業の手伝いのために40km離れた首都ボゴタまで花の配達のために毎日往復をするようになる。愛称の「エル・ハルディネリート」(小さな植木屋さん)はこれにちなんでいるが、大量の荷物を積んだ山道の往復は自然に高地トレーニングとなっていた。 プロ選手としては1985年から1992年までのキャリアだったが、アマチュア時代である1984年にツール・ド・フランスへの出場を果たしている。しかもその年のラルプ・デュエズのステージを制した(総合順位は27位)。コロンビア国籍の選手がツールにおいて区間優勝を果たしたのはこのときが最初だった。 エレラのこの活躍に触発されて翌1985年、カフェ・ド・コロンビアがスポンサーとなったプロチームが誕生し、エレラはチームリーダーとして2度目のツールに出場。前年以上に得意の山岳コースでベルナール・イノーらを苦しめる走りを見せ、区間2勝(第11、14ステージ)に加え山岳賞も受賞。総合成績も7位と健闘した。 1987年、この頃にはすっかり「山岳王」(キングオブマウンテン)としての異名が板についていたエレラが、ついにグランツールを制することになる。同年のブエルタ・ア・エスパーニャで総合優勝を果たしたが、区間2勝に加え、山岳賞も受賞した。また同年のツールでも山岳賞を受賞し、総合成績も5位に食い込む。翌1988年のツールでは総合6位に食い込み、また同年のドーフィネ・リベレでは総合優勝を果たした。 1989年、エレラはこの年初めて、ジロ・デ・イタリアに出場。定番ともいえる山岳賞をここでも制し、フェデリコ・バーモンテス以来、史上2人目の全グランツール山岳賞受賞経験者となった。その後、リアント・ポストボンに移籍した1991年には2度目のドーフィネ・リベレを制し、またブエルタでは2度目となる山岳賞も受賞したが、翌1992年に引退した。 後のインタビューによると、当初は91年で引退の予定だったが、自分やファビオ・パラの後を継ぐ後進が育っていないことを危惧したための現役続行だったという。 最後の年にもジロで区間優勝を遂げ、満足して引退することが出来たと語っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルイス・エレラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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