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ルイス・デ・カストレサナ
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ルイス・デ・カストレサナ : ウィキペディア日本語版 | ルイス・デ・カストレサナ
ルイス・デ・カストレサナ(Luis de Castresana, 1925年5月7日 – 1986年7月17日)は、スペイン・ビスカヤ県出身の著作家・ジャーナリスト・画家。スペイン語で執筆した。『もう一つのゲルニカの木』の著者として知られている。 == 経歴 == 両親ともにビスカヤ県・ビルバオ出身であり、父親は工場労働者だった〔狩野(1991)、p.311〕。1925年、ルイス・デ・カストレサナはビスカヤ県・バリェ・デ・トラパガに生まれ、幼少時代にバラカルドに引っ越して公立学校で学んだ〔。11歳だった1936年にスペイン内戦が勃発し、妹とともに親元を離れてベルギーのブリュッセルに疎開した〔。14歳の時にバラカルドに戻ると、電気工、左官、フランス語翻訳、タイピスト、保険事務、英語通訳などとして働いた〔狩野(1991)、pp.312-313〕。1940年代には様々な仕事をしながら夜間に執筆活動を行い、16歳のときに最初の本を出版し、17歳の時に自身初の記事として、詩人のガブリエラ・ミストラルに関する記事を発表した〔。1953年には結婚してマドリードに移り、新聞や雑誌記事を書く傍らで、オランダ、オーストリア、イギリスの新聞の通信員、ラジオ・ネーデルラント、英国放送協会(BBC)などで働いた〔。その後アムステルダム大学に行ったこともあった〔。 1967年にはスペイン内戦時の疎開体験を『もう一つのゲルニカの木』として書き、スペイン国民文学賞(セルバンテス賞〔1950年から1976年のスペイン国民文学賞は「セルバンテス賞」とも呼ばれていたが、1976年にはこの「セルバンテス賞」を発展させる形で、スペイン語圏全体を対象とした文学賞としてセルバンテス賞が創設された。スペイン国民文学賞はスペイン国内を対象とした文学賞として存続し、セルバンテス賞と並列した。〕)を受賞した〔。スペイン内戦について国外で書かれた本は数多くあったが、敗者の側から記した本としては、スペインで初めて出版された本である〔狩野(1991)、pp.316-317〕。初版はわずか600部だったが、徐々に広まって多くの人々に読まれるようになり、最終的には版を重ねて数十万部の売り上げを記録した〔。英語、フランス語、バスク語、アラビア語などに翻訳され、1991年には狩野美智子訳で平凡社が日本語版を出版した。スペイン国外では大学のテキストとしても使用され、1969年にはペドロ・ラサガ監督が『もう一つのゲルニカの木』(小説と同名)という映画を製作した。1970年には『ラ・モンハ・アルフェレス』などで、スペイン王立アカデミーのファステンラス賞を受賞した〔狩野(1991)、pp.314-315〕。同年には『ある魔女の物語』でプラネータ賞の最終候補に残ったが〔、最終的にはアルゼンチン人作家のマルコス・アギニスが受賞した。1970年にはビルバオに戻り〔、『もう一つのゲルニカの木』の反響の大きさから、1972年には『「もう一つのゲルニカの木」の真実』という本を出版した〔。1986年7月17日、ビルバオで死去した〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルイス・デ・カストレサナ」の詳細全文を読む
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