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ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン : ミニ英和和英辞書
ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン[ぶる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン : ウィキペディア日本語版
ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン[ぶる]

ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン(Louis Auguste de Bourbon, duc du Maine, 1670年3月31日 - 1736年5月14日)は、ブルボン朝フランスの王族。メーヌ公、ウー伯、オマール公。王位継承者の1人に選ばれたが、その後の政争に敗れて失脚した。
== 生涯 ==

=== 幼少期・青年期 ===
フランス王ルイ14世と、寵姫モンテスパン夫人の長男として生まれた。出生間もなくマントノン侯爵夫人によって養育された。1673年12月に認知され、1674年1月に宮廷にやってきた。同年、スイスの総合大佐に任命されている。ルイ14世お気に入りの息子であるが、宮廷でわがままいっぱいに振るう寵姫モンテスパン侯爵夫人の私生児であることから叔父のオルレアン公フィリップ1世エリザベート作家アンリ・ド・サン=シモンの遠縁であるサン=シモン公ルイ・ド・ルヴロワからは嫌われていた。
幼い頃は信心深く控え目な性格であり、多くの家庭教師の下で学んだ。しかし、リュクサンブール元帥の努力にもかかわらず、軍事科学には無関心であり、さらに脚も悪く、兵士としては平凡な力しかなかった。1681年アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアンによって行われた脅迫の被害者として、オマールの領地とウー伯爵位が与えられ、1682年にはラングドック知事となり、1686年にはオマール公の称号と精霊勲章L'Ordre du Saint-Esprit)を授けられた。1688年には将軍及び大尉に任命されている。
父は姪のエリザベート・シャルロット・ドルレアンをルイ・オーギュストに嫁がせたいと考えていたがオルレアン公夫人に反対され、1692年大コンデの孫娘にあたるコンデ公アンリ3世の娘アンヌ・ルイーズ・ベネディクトと結婚し、7児をもうけた。5月19日に結婚式がヴェルサイユ宮殿付属礼拝堂で執り行われた。脚に障害があったルイ・オーギュストと右腕が不自由なアンヌ・ルイーズの姿を見た宮廷の人には「片腕の妻とびっこの夫とは、なんと美しいカップルだろう〔''Voici l'union d'un boiteux et d'une manchote. Ah, le beau couple!''(''Prince de Condé'' site)〕」という非常に皮肉な冗談を言う者も居た。
この結婚は非常に不幸なものであり、二人は互いに嫌い合っており、ルイ・オーギュストは妻の短気な性格にうんざりしており、メーヌ公夫人が宮廷で夫に恥をかかせようとする企みに辟易していた。メーヌ公夫人が不倫していることは宮中ではよく知れ渡っていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン」の詳細全文を読む




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