|
ルイ・ダカン(Louis Daquin、1908年5月20日 カレー - 1980年10月2日 パリ)は、フランスの俳優、脚本家、映画監督。週刊映画雑誌『レクラン・フランセ』の主力執筆者でもあった。 == 来歴・人物 == *1908年5月20日、フランス・パ=ド=カレー県のカレーに生まれる。パリに上京、高等映画学院卒。映画作家となる前にジャーナリストになり、その後ジュリアン・デュヴィヴィエ、アベル・ガンス、ジャン・グレミヨンらの助監督となる。 *1941年、映画会社パテ社(Pathé)で、処女長編『''Nous les gosses''(われら若者)』を撮る。 *1943年に創刊された雑誌『レクラン・フランセ』でジョルジュ・サドゥールらとともに論陣を張り、やがて離脱するアンドレ・バザン、アレクサンドル・アストリュックら「芸術派」に対し、「政治派」とみなされた。 *1944年8月25日「パリ解放」のための6日間の市民蜂起にフランス映画解放委員会(委員長ピエール・ブランシャール)メンバーとして、ジャン・グレミヨン、ジャック・ベッケル、俳優ピエール・ルノワールらとともに参加。 *1948年1月、アメリカ映画の氾濫に反対し、ジャック・ベッケル、ジョルジュ・ルーキエ、ジャン・マレー、シモーヌ・シニョレらとともに、マドレーヌ寺院からレピュブリック広場までデモ行進した。 *1957年、1955年に製作した『''Bel-Ami''(ベラミ)』が、レッド・パージを背景にした2年間の上映禁止と検閲による大幅カットの末に公開される。 *1980年10月2日、パリで死去。72歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルイ・ダカン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|