翻訳と辞書
Words near each other
・ ルイ・ド・ブロイ
・ ルイ・ド・ラ・ブルドンネ
・ ルイ・ド・リュクサンブール
・ ルイ・ド・リュクサンブール (1986-)
・ ルイ・ド・リュクサンブール (サン=ポル伯)
・ ルイ・ド・リュクサンブール (枢機卿)
・ ルイ・ド・ロレーヌ
・ ルイ・ド・ロレーヌ (1527-1578)
・ ルイ・ド・ロレーヌ (1555-1588)
・ ルイ・ド・ロレーヌ (1641-1718)
ルイ・ド・ヴァロワ
・ ルイ・ド・ヴァロワ (オルレアン公)
・ ルイ・ドーバントン
・ ルイ・ド=ブロイ
・ ルイ・ナポレオン
・ ルイ・ナポレオン (ナポレオン公)
・ ルイ・ニコラン
・ ルイ・ニコラ・クレランボー
・ ルイ・ニコリン
・ ルイ・ニデルメイエル


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ルイ・ド・ヴァロワ : ミニ英和和英辞書
ルイ・ド・ヴァロワ
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ルイ・ド・ヴァロワ ( リダイレクト:ルイ・ド・ヴァロワ (オルレアン公) ) : ウィキペディア日本語版
ルイ・ド・ヴァロワ (オルレアン公)

ルイ・ドルレアン(Louis Ire d'Orléans)、またはルイ・ド・ヴァロワ(Louis de Valois, 1372年3月13日 - 1407年11月23日)は、フランスの王族。フランス王シャルル5世と王妃ジャンヌ・ド・ブルボンの子でシャルル6世の弟。オルレアン公1392年 - 1407年)、ヴァロワ伯、トゥレーヌ公(1386年 - 1392年)、ブロワ伯(1397年 - 1407年)、アングレーム伯(1404年 - 1407年)、ペリゴール伯、ドルー伯、ソワソン伯。ヴァロワ=オルレアン家の祖で、ルイ12世の祖父、フランソワ1世の曾祖父であり、息子2人と娘1人を通じてヴァロワ朝後期のフランス王6人の共通の先祖である(さらにブルボン王家もその血を引いている)。
兄シャルル6世が精神異常のため政務が不可能となると、摂政権を巡って叔父ブルゴーニュ公フィリップ2世(豪胆公)やその息子ジャン1世(無畏公)と対立した。また、王妃イザボー・ド・バヴィエールと不倫の関係を持ったことで人望を失った。
1407年、ジャン無畏公の配下の者たちによって、パリの街頭で暗殺された。
== 家族 ==
1389年ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティとヴァロワ家出身の叔母イザベルの娘で従姉にあたるヴァランティーヌ(ヴァレンティーナ)と結婚した。2人の間には9子が生まれた。
* 女子(1390年)
* ルイ(1391年 - 1395年)
* 男子(1392年)
* ジャン・フィリップ(1393年)
* シャルル(1394年 - 1465年) オルレアン公、フランス王ルイ12世の父
* フィリップ(1396年 - 1420年) - ヴェルテュ伯
* ジャン(1404年 - 1467年) アングレーム伯、フランス王フランソワ1世の祖父
* マリー(1401年)
* マルグリット(1406年 - 1466年) エタンプ伯リシャール夫人、ブルターニュ公フランソワ2世の母、女公および王妃アンヌの祖母
また、マルグリット・ダンギャンとの間に庶子ジャン・ド・デュノワ(1402年 - 1468年)をもうけた。







抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルイ・ド・ヴァロワ (オルレアン公)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.