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ルクヌッディーン・フィーローズ・シャー : ミニ英和和英辞書
ルクヌッディーン・フィーローズ・シャー[ろーず]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ローズ : [ろーず]
 【名詞】 1. rose 2. (n) rose

ルクヌッディーン・フィーローズ・シャー ( リダイレクト:ルクヌッディーン・フィールーズ・シャー ) : ウィキペディア日本語版
ルクヌッディーン・フィールーズ・シャー[ろーず]

ルクヌッディーン・フィールーズ・シャー(Rukn ud din Firuz Shah, 1205年以前 - 1236年11月9日)は、北インドデリー・スルターン朝奴隷王朝の第4代君主(在位:1236年)。父は第3代のシャムスッディーン・イルトゥトゥミシュ
==生涯==
1229年、父王イルトゥトゥミシュは自身の息子らに王としての見込みがないと考え、娘ながら見込みのあったラズィーヤを後継者に指名し、1236年4月29日に死去した〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.114〕。
ところが、イルトゥトゥミシュの死に際して、貴族らはラズィーヤがデリーにいなかったことで、その臨終に居合わせた兄のルクヌッディーン・フィールーズ・シャーを擁立し、翌30日に即位させた。これに関しては、フィールーズ・シャーがラホールバダーウーンといった重要な地のイクターを与えられ、人々に注目されていたからだとされる〔荒『インドの「奴隷王朝」 中世イスラム王権の成立』、p.53〕。
だが、フィールーズ・シャーは王座を得るとすぐに快楽にふけるようになり、その生母であるシャー・トゥルカーンが後宮(ハーレム)のかつて対立者らを殺害するなど、専横ともいえる政治干渉から貴族らの反感を買うようになった〔荒『インドの「奴隷王朝」:中世イスラム王権の成立』、pp.53-54〕〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、pp.114-115〕。
まもなく、ラホール、バダーウーン、ムルターンハーンシーなど北インド各地が反旗を翻し、シャー・トゥルカーンがこの過程で有能な弟クトゥブッディーン・ムハンマドも盲目にして殺害したことで、戦乱となった〔荒『インドの「奴隷王朝」:中世イスラム王権の成立』、pp.53-54〕〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、pp.114-115〕。
フィールーズ・シャーはデリーから出陣したが、妹ラズィーヤもシャー・トゥルカーンから殺害されることを恐れて反旗を翻し、シャー・トゥルカーンは捕えられた〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.115〕。彼はデリーの秩序を回復するためにデリーへと引き返したが、彼の側に付いていたトルコ系貴族らもラズィーヤに加担するようになり、彼も捕えられた〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.115〕。
同年11月9日、フィールーズ・シャーはラズィーヤの命により、処刑された〔ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.115〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルクヌッディーン・フィールーズ・シャー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Rukn ud din Firuz 」があります。




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