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ルソン島の戦い(ルソンとうのたたかい)は、1945年1月6日から終戦までフィリピン・ルソン島で行われた、日本軍(第14方面軍:司令官 山下奉文大将)とアメリカ軍の陸上戦闘のことを言う。首都マニラは3月にアメリカ軍が制圧したが、その後も終戦まで戦闘が続いた。日本軍に機甲師団が配属されていたため、太平洋戦線では珍しく多くの戦車戦が発生した。 == 背景 == フィリピン奪回を目指すアメリカ軍を中心とした連合軍は、レイテ沖海戦・レイテ島の戦いに勝利してフィリピン東部の制空権・制海権を握った。また、ミンドロ島の占領によりルソン島に対する航空作戦基地も確保することに成功した。そして、いよいよルソン島への上陸作戦を決行することとなった。その第一の作戦目標は、首都マニラの奪還に置かれた。ルソン島では多数のフィリピン人ゲリラ部隊が協力体制を築いて、上陸を待っていた。 対する日本側現地司令部である第14方面軍の作戦計画では、ルソン島に戦力を集中して平原部での決戦を行う予定であった。 しかし、台湾沖航空戦の過大な戦果判定による大本営の方針転換から、レイテ戦のためルソン島から兵力を抽出したことにより、ルソン島の日本軍戦力は大きく低下してしまった。それに加え、当時第14方面軍の作戦参謀を務めていた堀栄三中佐らの「艦砲射撃を多用する米軍相手に水際での戦闘を挑むよりは、艦砲の砲弾が届かない山岳に誘い出しての持久戦を行うほうが望ましい」との進言から、司令官の山下大将は「持久戦により敵をルソン島に可能な限り引き付ける」方針を決断した。 日本軍は、戦力を「尚武」「振武」「建武」の3集団にわけて防衛態勢に入り、方面軍司令部も1945年1月3日にイポから北部山地のバギオへと移動した。ホセ・ラウレル大統領を首班とし日本の影響下にあったフィリピン共和国政府も、同じく北部へと移動した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルソン島の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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