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ルチオ・フルチ
ルチオ・フルチ( 1927年6月17日 - 1996年3月13日)はイタリアのローマ出身の映画監督、脚本家。主にホラー映画・スプラッター映画を舞台に多くの作品を製作した。 == 経歴 == ローマ生まれ。映画製作者を志してローマ実験映像センターに学んだのち、イタリア式コメディで名を馳せた映画監督ステーノに師事した。1959年に''"I ladri"''でデビューし、1970年代後半までコメディーとサスペンス(ジャーロ)映画で一定の評価を得た。しかし、生来の反骨気質ゆえに1969年の''"Beatrice Cenci"''や1972年の『マッキラー』といった娯楽映画の中でカトリック教会を痛烈に批判し、扱いづらい職人監督というレッテルも貼られた。 1979年に南国を舞台にしたゾンビ映画『サンゲリア』を監督したことによってフルチの監督人生は180度変わる。攻撃的な人体破壊シーンと全編を流れる耳障りなノイズは多くのクリエーターに影響を与え、ジョージ・A・ロメロと双肩を成すゾンビ映画監督、もしくはマスター・オブ・ゴアという肩書きを手に入れた。日本でも多くのビデオが題名に「ルチオ・フルチの~」と冠して発売されるという、大巨匠なみの栄誉に浴している。ファンの多くは『サンゲリア』『地獄の門』『ビヨンド』を絶頂期の三大傑作とし、続く『墓地裏の家』『ザ・リッパー』と徐々に衰弱して、以降の作品はことごとく失敗作とする意見が多いが、前述の3作品以外にも今尚カルト的人気を誇る作品も少なくない。娯楽映画の体を成しながら難解な結末が用意されている事が多く、その点で賛否は大きく分かれる。作品毎に作風が変化してくるところも特徴的だった。 1996年、ダリオ・アルジェントの製作による『肉の蝋人形』を監督する予定だったが糖尿病の合併症により死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルチオ・フルチ」の詳細全文を読む
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