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ルドヤード・キップリング : ミニ英和和英辞書
ルドヤード・キップリング[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ルドヤード・キップリング ( リダイレクト:ラドヤード・キップリング ) : ウィキペディア日本語版
ラドヤード・キップリング[ちょうおん]

ジョゼフ・ラドヤード・キップリング (Joseph Rudyard Kipling, 1865年12月30日 - 1936年1月18日) は、イギリス小説家詩人で、イギリス統治下のインドを舞台にした作品、児童文学で知られる。ボンベイ (ムンバイ) 生まれ。19世紀末から20世紀初頭のイギリスで最も人気のある作家の一人で、代表作に小説『ジャングル・ブック』『少年キム』、詩『マンダレー』など。「短編小説技巧の革新者」とみなされ〔Rutherford, Andrew (1987). General Preface to the Editions of Rudyard Kipling, in "Puck of Pook's Hill and Rewards and Fairies", by Rudyard Kipling. Oxford University Press. ISBN 0-19-282575-5〕、児童向け作品は古典として愛され続けており、作品は「多彩で光り輝く物語の贈り物」と言われる〔Rutherford, Andrew (1987). Introduction to the Oxford World's Classics edition of "Plain Tales from the Hills", by Rudyard Kipling. Oxford University Press. ISBN 0-19-281652-7〕〔James Joyce considered Tolstoy, Kipling and D'Annunzio to be the "three writers of the nineteenth century who had the greatest natural talents", but that "he did not fulfill that promise". He also noted that the three writers all "had semi-fanatic ideas about religion, or about patriotism." Diary of David Fleischman, 21 July 1938, quoted in ''James Joyce'' by Richard Ellmann, p. 661, Oxford University Press (1983) ISBN 0-19-281465-6〕。1907年にノーベル文学賞を、41歳の史上最年少で、イギリス人としては最初に受賞。他にイギリス桂冠詩人爵位などを打診されたが辞退している〔Birkenhead, Lord. 1978. ''Rudyard Kipling'', Appendix B, “Honours and Awards”. Weidenfeld & Nicolson, London; Random House Inc., New York.〕。
キプリングの評価は時代ごとの政治的、社会的環境によって変わり〔Lewis, Lisa. 1995. Introduction to the Oxford World's Classics edition of "Just So Stories", by Rudyard Kipling. Oxford University Press. pp.xv-xlii. ISBN 0-19-282276-4〕〔Quigley, Isabel. 1987. Introduction to the Oxford World's Classics edition of "The Complete Stalky & Co.", by Rudyard Kipling. Oxford University Press. pp.xiii-xxviii. ISBN 0-19-281660-8〕、20世紀中にも対称的な見解が見られ〔Said, Edward. 1993. Culture and Imperialism. London: Chatto & Windus. Page 196. ISBN 0-679-75054-1.〕〔Sandison, Alan. 1987. Introduction to the Oxford World's Classics edition of ''Kim'', by Rudyard Kipling. Oxford University Press. pp. xiii–xxx. ISBN 0-19-281674-8.〕、ジョージ・オーウェルは「イギリス帝国主義の伝道者」と呼んだ。評論家のダグラス・カーは「未だ解決されない、文化と文学の歴史における心情面の距離や彼自身の位置について触発させる作家である。しかしヨーロッパ帝国主義退潮の時代では、帝国の行跡についての議論での好適な通訳者と見なされている。加えて彼の残した作品への評価の高まりが、その再認識を必要とさせている。」と述べている〔Douglas Kerr, University of Hong Kong. "Rudyard Kipling." The Literary Encyclopedia. 30 May. 2002. The Literary Dictionary Company. 26 September 2006. 〕。
「東は東、西は西」''East is East, West is West'' (「東と西のバラッド」) という言葉を遺したことでも知られる。2度ほど来日し、日本研究の資料も残している。
== 生い立ち ==

=== 少年期 ===

英領インドボンベイに、父ジョン・ロックウッド・キプリング、母アリス・キプリングの間に生まれる〔。アリス (旧姓マクドナルド、ビクトリア朝時代の有名な「」のうちの一人〔Flanders, Judith. 2005. ''A Circle of Sisters: Alice Kipling, Georgiana Burne-Jones, Agnes Poynter, and Louisa Baldwin''. W.W. Norton and Company, New York. ISBN 0-393-05210-9〕) は快活な人柄で〔Gilmour, David. 2002. ''The Long Recessional: The Imperial Life of Rudyard Kipling'', Farrar, Straus, and Giroux, New York.〕、「同じ部屋にいると決して退屈しない」女性だったという〔。ロックウッドは彫刻と陶器のデザイナーで、当時ボンベイに設立されたJamsetjee Jeejeebhoy卿の芸術・産業学校において建築彫刻の教授で主任だった〔。
両親は、息子ラドヤードが生まれた年にボンベイに移っていたが、2年前に彼らが出会ったイングランドスタッフォードシャーのの美しさにちなんで、最初に生まれた子供にその名前を付けた。母方の叔母ジョージアナは画家のエドワード・バーン=ジョーンズの妻、またその妹のアグネスはやはり画家のエドワード・ポインターの妻だった。もっとも年長のいとこスタンリー・ボールドウィンは1920、30年代に保守党の総理大臣に3度就いている。ボンベイの彼の生家はサーJ.J.応用芸術研究所キャンパス内で、学生用住居として長年利用されている。しかしムンバイの歴史家フォイ・ニッセンは、キプリングの生まれたコテージは数十年前に取り壊されて、同じ場所に立て直されたことを示す銘板があることを指摘している。木造平屋は空き家で、一年中施錠されている。2007年11月にサーJ.J.応用芸術研究所内の生地はキプリングとその作品の記念博物館とされることが発表された。
バーニス・M.マーフィーによると、キプリングの両親は彼ら自身をアングロ・インディアン (イギリスで生まれインドで暮らした人々を指す19世紀の用語) と考えており、彼らの息子も同様と考えたが、実際には彼の人生の多くは他の土地で費やされた。そしてアイデンティティと国への忠誠心の複雑な問題が、キプリングの作品を特徴づけるようになる。キプリング自身もこの矛盾について「午睡をとる前に乳母か現地人の使用人が、伝えられている物語やインドの童謡を語ってくれて、正装してダイニングで過ごす時になると「パパとママには英語を話すのよ」と注意されるのだった。つまり、かたや現地語で考え、夢を見て、かたやそこから翻訳しながら英語で話すのだった。」と書いている〔。
ボンベイでの「強い光と闇」の日々は5歳で終わる。英領インド育ちの子供として、彼と3歳の妹アリス (トリックス) は、イングランド (ポーツマスの) に着き、ホロウェイ夫妻の貸別荘で6年間を過ごす。自伝でキプリングはこの時期を恐怖と呼び、ホロウェイ夫人による虐待と無視が彼の文学人生の始まりを早めたかもしれないという皮肉について「7つか8つの子供は (特に寝入りばなには)、満足げに矛盾したことを言うでしょう。それらの矛盾を嘘だとして、朝食の時に言い募られたとしたら、人生は楽ではない。私はいじめについてもある程度は知っていたが、これは宗教的であり科学的である計算された拷問だった。だが私が話をする時に必要であるとさとった嘘は、文学活動の基礎になったとも推測できる。」と述べている〔also: 1935/1990. Something of myself and other autobiographical writings. Cambridge University Press. ISBN 0-521-40584-X.〕。この頃には、父から送られた物語を読むことに逃げ込んでいた〔橋本槙矩「解説」 (『キプリング短篇集』1995年)〕。
妹のトリックスは、ホロウェイ夫人から息子との結婚を望まれるようになるほど、この別荘でうまく暮らした〔Carpenter, Humphrey and Mari Prichard. 1984. Oxford Companion to Children's Literature. pp. 296–297.〕。二人の子供達にはイングランドの親戚も訪問した。クリスマスの一か月間は母方の叔母ジョージアナとその夫エドワード・バーン=ジョーンズの家で過ごし、そのロンドンフルハムの農場をキプリングは「私を救ってくれたと信じられる天国」と呼んだ〔 。1877年の春、母のアリスがインドから戻り、子供達を貸別荘から連れ出した。キプリングは「最愛の叔母は、私がどのように扱われていたかを決して話さなかった理由を聞くかもしれない。子供達は、永遠に確かなものとして受け入れられるものの訪れのために、動物のように口を閉ざすでしょう。酷い扱いを受けた子供達は、もし彼らが刑務所内の秘密のことを自ら暴露したら、何か起きるかをよくわきまえています。」と回想する〔 。
1878年1月、キプリングはデボンの にある、軍人の子供のために1874年に設立されたユナイテッド・サービシーズ・カレッジに入学。最初は学校に馴染めなかったが、後には固い友情をもたらし、ずっと後に出版される学生もの『ストーキイと仲間たち』の設定を提供した。在学中はイギリス、フランスロシアの文学を愛読し、また学友会雑誌の編集部員を務め、いくつかの詩も発表する〔西村孝次「解説」 (『ジャングル・ブック』1966年)〕。またこの時期においてキプリングは、サウスシーに帰っていたトリックスの下宿仲間であるフローレンス・ガラードに出会って恋に落ちた。フローレンスは後に、最初の小説『消えた灯』のメイシーのモデルとなる〔。

学生時代の最後になって、両親はキプリングをオックスフォード大学に進学させたかったが学費を調達できず〔、奨学金を得られるほどの学力でもないと判定され〔、父は自身が校長を務めるメイヨー美術学校と館長を務めるラホール博物館のある、パキスタンパンジャーブの都市ラホールで息子のための仕事を探し出した。キプリングは小さな地方新聞「シビル&ミリタリー・ガゼット」紙の編集助手として働くことになる。
1882年9月20日にインドに向けて出航し、10月18日にボンベイに着く。後年キプリングはこの瞬間を「16歳と9か月だったが、4、5歳上に見えた。生やしていた髭は1時間ほどで母の怒りにより剃らされた。自分の生まれたボンベイで自分を再発見し、観光地を巡り、私の知らない現地語の会話の中で雰囲気が私を運んだ。インド生まれの他の少年たちは、同じことが彼らに起きたことを話してくれた。」。この到着がキプリングを変えたことを「私の人々が住むラホールまで汽車で3、4日かかった。私のイギリスでの日々はとうに消え失せ、帰ってきたという強い思いが湧いた」と述べている〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ラドヤード・キップリング」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Rudyard Kipling 」があります。




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