翻訳と辞書
Words near each other
・ ルドヴィクス3世
・ ルドヴィク・イルゲンス・イェンセン
・ ルドヴィク・イルゲンス=イェンセン
・ ルドヴィク・オブラニアク
・ ルドヴィク・サバティエ
・ ルドヴィグ
・ ルドヴィコ
・ ルドヴィコ・エイナウディ
・ ルドヴィコ・カラッチ
・ ルドヴィコ・ザメンホフ
ルドヴィコ・フェラーリ
・ ルドヴィコ・ロンカッリ
・ ルドヴィジア
・ ルドヴィジア属
・ ルドヴィック
・ ルドヴィック・ブールス
・ ルドヴィッグ
・ ルドヴィッグ・ボルガ
・ ルドヴィッヒ・シュトルーベ
・ ルドヴィ・ホルベア


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ルドヴィコ・フェラーリ : ミニ英和和英辞書
ルドヴィコ・フェラーリ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

フェラーリ : [ふぇらーり]
 【名詞】 1. Ferrari 2. (n) Ferrari
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ルドヴィコ・フェラーリ : ウィキペディア日本語版
ルドヴィコ・フェラーリ[ちょうおん]

ルドヴィコ・フェラーリ(Ludovico Ferrari, 1522年2月2日-1565年10月5日)は、イタリア数学者である。ロドヴィコ、フェルラーリ、フェルラリ、フェラリとも。
14歳の時に数学者ジェロラモ・カルダーノの家で召使いとして働き始めたが、その才能を認められカルダーノから数学の教えを受け、研究の手伝いをするようになった。26歳のフェラーリについて、日本の数学者である森毅は「やさしい声ときよらな面、しかし神の才と悪魔の心をもった青年」と評している。
「解法を公表しない」との誓いの元でニコロ・フォンタナ・タルタリアから解法を得たカルダーノは、弟子のフェラーリと共に一般的な三次方程式の解法等の研究に取り組んだ。この研究の過程で、フェラーリは四次方程式の解法を発見した。後にカルダーノは「アルス・マグナ」という数学書を出版し、この本の中でフェラーリの四次方程式の解法についても記している。「解法を公表しない」との誓いを破られたタルタリアは激怒し、カルダーノのことを非難するようになる。ここでカルダーノの弟子であるフェラーリは「自分もその場にいたがそのような誓いは立てていない」と主張しているが、真相は定かでない。タルターリアはカルダーノとの論争を望んだが、カルダーノはタルタリアの誘いには乗らず、以降タルタリアとフェラーリの論争が続いていくことになる。1548年、タルタリアとフェラーリが数学の公開討論を行うことになり、互いに31問ずつの問題を出し合った。この討論試合の詳細は明らかになっていない。フェラーリの勝利に終わったという説が有力である。この討論試合の後フェラーリの名声は高まり、各方面から仕事の依頼が来るようになった。皇帝の息子の家庭教師の依頼もあった。
1565年ボローニャ大学教授につくが、同年に姉によりヒ素で毒殺されたとされている。
== 関連項目 ==

*代数方程式
*ニコロ・フォンタナ・タルタリア
*ジェロラモ・カルダーノ




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルドヴィコ・フェラーリ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.