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ルネ・ラエネク : ミニ英和和英辞書
ルネ・ラエネク
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


ルネ・ラエネク ( リダイレクト:ルネ・ラエンネック ) : ウィキペディア日本語版
ルネ・ラエンネック

ルネ=テオフィル=ヤサント・ラエンネック(〔文献によっては Laënnec とトレマを付けて綴っていることがあるが、ブルトン人なのでトレマは使わない。実際、本人の署名にもトレマはない。〕、、1781年2月17日 - 1826年8月13日)はフランスの医師ルネ・ラエネクとも。1816年聴診器を発明し、それを利用した胸部の診察方法を考案した〔まんが医学の歴史 茨木保著 医学書院発行 ISBN 978-4-260-00573-9〕。
1822年にはコレージュ・ド・フランスの講師となり、1823年には医学部の教授となった。1826年結核の為死去〔。
== 前半生と性格 ==
ブルターニュ半島カンペールに生まれる。5、6歳の頃に母が結核で亡くなり、その後聖職者の大叔父の元に引き取られた。やがて、大学の医学部で教鞭を執っていた叔父を頼って、12歳の時にナントへ移り住む。ナントでは優秀な学生で、英語ドイツ語を学び、間も無く叔父の指導の下で医学の勉強を始めた。
法律家であった父は、彼がそのまま医師になることを許さず、失意のルネは一時期国中を旅し、踊り、ギリシア語を学んだ。しかし1799年、再び医学を志す様になったラエンネックはパリへと移り、ギヨーム・デュピュイトランジャン=ニコラ・コルヴィサール等と云った有名な医師の下で学んだ〔。彼はそこで、音を利用した診察方法の手解きを受けた。師の一人コルヴィサールは、1761年にレオポルト・アウエンブルッガーが提唱し無視された、に基づく診断技術の再検討を主張していた。
ラエンネックはフランス革命の頃に、ナントで手術の助手を務めていた。彼は信心深いカトリック教徒であり、同時に非常に親切な人物として有名で、貧者への彼の慈善活動は彼の語り草となっていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルネ・ラエンネック」の詳細全文を読む




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