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ルーサーヴァンドロス : ミニ英和和英辞書
ルーサーヴァンドロス[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ルーサーヴァンドロス ( リダイレクト:ルーサー・ヴァンドロス ) : ウィキペディア日本語版
ルーサー・ヴァンドロス[ちょうおん]

ルーサー・ヴァンドロスLuther Vandross1951年4月20日 - 2005年7月1日)は、アメリカ合衆国R&B歌手である。バックアップボーカルでの活動が評判となり、ゲストとしてチェンジ等のアルバムの一部でメインボーカルを担当し、1976年にソロデビューにたどり着いた。1980年代のいわゆるブラコン(ブラック・コンテンポラリー)の第一人者のひとりであり、歌手としてだけではなく、サウンドクリエイターとしても知られる。
2003年脳卒中に倒れ、その後、復帰したものの2005年に亡くなった。54歳だった。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第54位。
== 経歴 ==

=== 1951年 - 1979年 : 若年期から下積み時代 ===
ルーサー・ヴァンドロスこと本名Luther Ronzoni Vandross は、アメリカ合衆国ニューヨーク市マンハッタンで、4人兄弟の2人目の子供として生まれた。
マンハッタンのローワー・イースト・サイドにあるアルフレッド・E・スミス知事ハウス〔20世紀前半のニューヨーク州知事であるアル・スミスの生誕地近くにある公営住宅〕で幼少期を過ごし、3歳からピアノの演奏を始めた。13歳のとき、家族とブロンクス区へ引っ越した。ルーサー・ヴァンドロスの姉であるパトリシア・ヴァンドロスは、ボーカル・グループのクレスツに所属していた 1958年には、楽曲ビルボード・ホット100で 2位となるヒット曲「16 Candles」をだしている。ヴァンドロスが 8歳のとき、父親が病死した。〔http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/2975731.stm〕ヴァンドロスは、高校生グループ Shades of Jade のメンバーとして一度ハーレムアポロ・シアターでも演奏した。ヴァンドロスは、シアター・ワークショップにも所属して、シングル「Only Love Can Make a Better World」と「Listen My Brother」を発表し、1969年11月のセサミストリートに出演した。
ヴァンドロスが次のヒットにクレジットされるのは、1972年のロバータ・フラックのアルバムである。また、パティ・ラベル・ファンクラブの創設者でもある。デロアス・ホールの 1973年のアルバムで、ヴァンドロスは自身が書いた曲「Who's Gonna Make It Easier for Me」を歌っている。他に、楽曲「In This Lonely Hour」も提供している。デヴィッド・ボウイと共作した楽曲「ファスシネイション」(Fascination) は、1974年9月に発表されたボウイのアルバム『ヤング・アメリカン』に収録され、ヴァンドロスもバック・ボーカルとして参加している。ヴァンドロスが書いた曲「Everybody Rejoice」は、1975年のブロードウェイ・ミュージカル『ザ・ウィズ』と、その映画化『ウィズ』で聞くことができる。
ヴァンドロスは、ダイアナ・ロスロバータ・フラックゲイリー・グリッターカーリー・サイモンチャカ・カーントッド・ラングレンユートピアドナ・サマーベット・ミドラーシックバーブラ・ストライサンドデヴィッド・ボウイらのバック・ボーカルを務めた。
70年代後半、ヴァンドロスは 5人組グループであるルーサーのメンバーとして、Cotillion Records〔かつて存在したアトランティック・レコードの子会社〕と契約し、比較的成功したシングル「It's Good for the Soul」、「Funky Music (Is a Part of Me)」、「The Second Time Around」と、アルバム『Luther』(1976年)、『This Close to You』(1977年)を発表したが、アルバムはセールス・チャートに入るほどは売れなかった。Cotillion Records がグループとの契約を切った後、ヴァンドロスはアルバムの版権を買い戻した。
ヴァンドロスは 1970年代後半から 1980年代前半までに、立て続けにヒット・シングルに貢献し、1970年代後半には人気セッション・シンガーとしての地位を築いた。
Greg Diamond's Bionic Boogie というディスコ・バンドの曲「Hot Butterfly」で、ルーサーはリード・ボーカルを歌った。ルーサーは、Soiree というバンドでも「You Are the Sunshine of My Life」のリード・ボーカルを歌い、ジャクソン・ブラウンシャロン・レッドのアルバムでバック・ボーカルを務めた。ルーサーがリード・ボーカルを歌った Mascara LP というグループの曲「See You in L.A.」は、1979年に発表された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルーサー・ヴァンドロス」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Luther Vandross 」があります。




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