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ルーズ・ランゴー(Rued Langgaard, 1893年7月28日 コペンハーゲン - 1952年7月10日)はデンマーク後期ロマン派音楽の作曲家・オルガニスト。同時代のデンマークの大衆に対抗して、当時としては急進的な作品を書いたこと、またカール・ニールセン流のモダニズムや新古典主義音楽がデンマーク楽壇の主流となったことから、生前は理解されず、没後16年経ってようやく認知されるに至った。 ==生涯== 作曲家でデンマーク宮廷音楽家のジークフリート・ランゴー(Siegfried Langgaard, 1852-1914)と、ピアニストのエマ夫人(Emma Langgaard, 1861-1926, 旧姓フォス Foss)の長男として生まれる。父ジークフリートもピアニストであった。5歳のとき母親からピアノの手ほどきを受け、後に父親の個人指導で音楽を修める。見る間に早熟な才能を伸ばし、7歳でショパンのマズルカやシューマンの《ダヴィッド同盟舞曲集》を弾くようになり、ピアノやオルガンのための小品を作曲するようになる。 10歳でグスタフ・ヘルステズに正式にオルガンを、ヴァイオリンをクリスチャン・ペテルセンに師事。11歳でオルガニストとしてコペンハーゲンにデビューし、即興演奏を披露した。12歳でC.F.E.ホーネマンとヴィルヘルム・ルーセンベリに師事。この頃からより本格的な作曲活動に着手。13歳までに2つのピアノ曲と2つの歌曲が出版される。対位法を1ヵ月間カール・ニールセンに師事した。翌年、合唱曲《凱旋するムーサたち ''Musae triumphantes'' 》がコペンハーゲンで上演され、作曲家としてデビューを果たす。1908年から最初の交響曲「岩礁の牧歌」に着手、1909年にいったん脱稿した後、1911年に改訂版を完成させたが、デンマーク国内で理解が得られなかったため、両親とドイツに旅行に出た際、指揮者のアルトゥール・ニキシュやマックス・フィードラーに逢って講評を求めて激励された。18歳のときコペンハーゲンのフレデリク教会にオルガニスト助手として奉職。翌年フィードラー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団により、《交響曲 第1番 <岩礁の牧歌>》が初演される。 1914年に父親が他界すると、1915年から1917年までコペンハーゲンのガーニソン教会のオルガニスト助手を勤め、1917年より市内の数々の教会にオルガニストとして志願するも果たせなかった。1922年にヴァルボリ・コンスタンツェ・オリヴィア・テテンスと出会い、母親の没した翌年の1926年に彼女と結婚する。 ルーズ・ランゴーは30歳から下賜金を交付されていたが、その作品と求職活動は諸機関によって拒絶され通しであった。リベ大聖堂に教会オルガニストとして定職を得たのは、ようやく46歳になってからであり、ランゴーはこの地で一生を終えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ルーズ・ランゴー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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