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ルールーコウ : ミニ英和和英辞書
ルールーコウ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ルールーコウ : ウィキペディア日本語版
ルールーコウ[ちょうおん]
ルールーコウは、那覇手東恩納寛量が師事したと伝えられる中国拳法家。ルールーコーと表記することもある。東恩流では、ルールーとする。漢字で、劉良興(宮里栄一説)、劉龍公(劉衛流説)とも伝わる。
== 概要 ==
剛柔流ではルールーコウは「町道場の武術師匠」(比嘉世幸)とされるが、劉衛流では「武官候補生養成所の主席師範」「武官科挙場(コーバ)の主査」(仲井間憲孝)とされ、経歴は一致しない。
また活躍期間も、劉衛流では道光年間に仲井間憲里(1819-1879)が19歳(1838年頃)の時から師事したとするが、剛柔流では東恩納寛量が渡清したのは1860~70年代とされる。仮にルールーコウが後述の鳴鶴拳・謝崇祥(1852-1930)とすれば、仲井間はルールーコウの生まれる以前に師事したことになり、矛盾してしまう。
剛柔流の伝承では、東恩納寛量が渡清して福建省福州に滞在していた時に師事した中国拳法家とされる。東恩納は、ある時の洪水でルールーコウの家族を救ったことから師匠の信頼を得たため、ルールーコウから本格的に指導を受けるようになり、後に中師匠(師範代)にまでなったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ルールーコウ」の詳細全文を読む




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