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ルーヴォワ侯 : ミニ英和和英辞書
ルーヴォワ侯[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [こう]
  1. (n,n-suf) marquis 2. lord 3. daimyo 

ルーヴォワ侯 ( リダイレクト:フランソワ=ミシェル・ル・テリエ ) : ウィキペディア日本語版
フランソワ=ミシェル・ル・テリエ[こう]

フランソワ=ミシェル・ル・テリエ(François-Michel le Tellier, 1641年1月18日 - 1691年7月16日)は、17世紀フランスの政治家。父ミシェル・ル・テリエルイ14世陸軍大臣ルーヴォワ侯(Marquis de Louvois)の爵位で知られる。
本来は法服貴族で、フランソワも父の後を継いで官僚となり、陸軍の行政を担当した。頑固で自負心が強く、遠慮のない人柄をかえってルイ14世から買われた。彼は陸軍の再建を命じられ、1666年に父の辞任後の陸軍大臣となり、同じくルイ14世に登用された財務総監ジャン=バティスト・コルベール及び外務大臣ユーグ・ド・リオンヌと並ぶ有力官僚となった。
隊長たる貴族によって兵士が募集・雇用されていた請負組織を廃止し、はじめて国家の手で常備軍を編成するシステムを作り上げた。全てを改革することはできなかったが、名誉職の連隊長や中隊長とならんで、実際上の指揮をとる士官の制度をつくり、国王が直接任命することで軍の掌握を図った。各人の経験年数によって昇級する制度も設け、大貴族に代わる中小貴族から有能な人材の登用を促した。また、初めて志願制を作り、後に徴兵制に変更、兵員の増加と国王直属の軍事力強化に繋がった。
1670年には制服と軍紀を定め、1671年に傷病兵を療養させるためオテル・デ・ザンヴァリッドを設立、兵士に対する規律の厳格化で質の向上を図り、兵器工場及び兵舎や馬の食料貯蔵庫の設立で後方支援も整え、1687年には当時最新鋭の銃剣を採用した。これらの努力によって、ルイ14世の軍隊を世界一と賞される強さに仕上げた。
政治的には保守的で、ユグノー弾圧のためナントの勅令の廃止を早くから王に進言していたため、国民の一部から嫌われていた。後には王の好意も失い、失意のうちに1691年に50歳で死んだ。陸軍大臣は息子のルイ・フランソワ・マリー・ル・テリエが継いだ。
== 参考文献 ==

*柴田三千雄樺山紘一福井憲彦編『世界歴史大系 フランス史2-16世紀~19世紀半ば-』山川出版社、1996年。
*長谷川輝夫『聖なる王権ブルボン家』講談社選書メチエ、2002年。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フランソワ=ミシェル・ル・テリエ」の詳細全文を読む




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