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ルー・イェンスン : ミニ英和和英辞書
ルー・イェンスン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ルー・イェンスン ( リダイレクト:盧彦勳 ) : ウィキペディア日本語版
盧彦勳[るー いぇんすん]

盧彦勳(ルー・イェンスン、英語表記:Yen-Hsun Lu, 1983年8月14日 - )は、台湾桃園県出身の男子プロテニス選手。当地のテニス選手として初めてシングルスランキングトップ100位内に入った選手である。身長180cm、体重74kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATPツアーでシングルス優勝はまだ無いが、ダブルスで3勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス33位、ダブルス86位。
== 来歴 ==
ジュニア時代にシングルス最高位3位、世界スーパージュニアテニス選手権大会シングルス準優勝などの記録を残してきた盧は2001年にプロ入り。同年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップの代表選手に選ばれる。2004年ウィンブルドン選手権の前哨戦として知られるクイーンズ・クラブ選手権の2回戦で当時世界ランキング3位のギリェルモ・コリアを 6-2, 6-4 のストレートで破った事により注目を浴びるようになる。同年にはアテネオリンピックの台湾代表選手としてシングルス部門に初出場したが、1回戦でヤルコ・ニエミネンフィンランド)に敗れている。
2005年にはダブルスでも顕著な記録を残し、年初の大会として知られるインドチェンナイ大会においてライナー・シュットラーと組んで出場したダブルス部門決勝でマヘシュ・ブパシインド)、ヨナス・ビョルクマンスウェーデン)組を下しATPダブルスツアー初優勝。続く全豪オープンでは鈴木貴男日本)とのペアでダブルス部門に出場。3回戦進出の記録を残した。その後ツアーレベルでは暫く1、2回戦敗退が続いていたが、ツアー下部のチャレンジャーシリーズで着実にランキングを上昇させた。2度目のオリンピック出場となった北京五輪では1回戦で第6シード、当時世界ランキング6位のアンディ・マリーイギリス)をストレートで下す番狂わせを演じ、ユルゲン・メルツァードイツ)との3回戦まで進出した。
2010年ウィンブルドンでは4回戦でアンディ・ロディックアメリカ)を 4-6, 7-6(3), 7-6(4), 6-7(5), 9-7 で破り、台湾人初のベスト8進出を果たした。準々決勝ではノバク・ジョコビッチセルビア)に3-6, 2-6, 2-6 で敗れた。
2012年7月のロンドン五輪で3度目のオリンピックに出場したが、1回戦でチュニジアマレク・ジャジリに 6-7(12), 6-4, 3-6 で敗れた。9月のタイ・オープンではダナイ・ウドムチョクと組んだダブルスで決勝に進出。エリック・ブトラック&ポール・ハンリー組を 6-3, 6-4 で破り7年ぶりのダブルス2勝目を挙げた。
2014年2月のハイネケン・オープンで初のシングルス決勝に進出した。決勝ではジョン・イスナーに 6–7(4), 6–7(7) で敗れ初優勝を逃した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「盧彦勳」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lu Yen-hsun 」があります。




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