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レイ・シャーク : ミニ英和和英辞書
レイ・シャーク[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

レイ・シャーク : ウィキペディア日本語版
レイ・シャーク[ちょうおん]

レイ・シャーク(Ray Schalk, 本名:Raymond William Schalk, 1892年8月12日 - 1970年5月19日) は、1910年代から1920年代にかけて活躍したアメリカメジャーリーグの選手。ポジションは捕手イリノイ州ハーベル生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Cracker"(クラッカー)。投手のリードと守備力に優れ、ホワイトソックスを2度のリーグ制覇に導いた。
== 経歴 ==
1912年に、マイナーのミルウォーキー球団からホワイトソックスに入団。175cm/75kgと小柄な選手だったが、守備能力の高さを買われて2年目から正捕手の座に着く。当時打力の弱かったホワイトソックスにおいて、シャークはレッド・フェイバーエディ・シーコット、レブ・ラッセル、レフティ・ウィリアムズら投手陣をまとめる役割を果たした。1913年のオフには「世界周遊野球チーム」のメンバーとして来日し、日本でも試合を行っている。
ホワイトソックスは1914年以降徐々に上位に躍進し、1917年にレギュラーシーズンで100勝を挙げ、リーグを制覇する。この年のチームの防御率は2.16にまで改善された。また、走塁面では1916年に捕手としてのシーズン最多となる30盗塁を記録する。この記録が破られたのは66年後の1982年のことである。
1919年には2度目のワールドシリーズ出場を果たし、23打数7安打、打率.304の成績を残す。しかし翌年、チームはブラックソックス事件により多くの永久追放者を出すことになる。シャークはその後1927年から2年間ホワイトソックスの監督を兼任し、1929年にニューヨーク・ジャイアンツで現役を引退する。引退後はパデュー大学の打撃コーチやボウリング場の経営などをしていた。
1955年にベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1970年にシカゴで死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「レイ・シャーク」の詳細全文を読む




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