翻訳と辞書
Words near each other
・ レイーノ
・ レイ兌穴
・ レイ公
・ レイ公 (宋)
・ レイ公 (斉)
・ レイ公 (晋)
・ レイ公 (鄭)
・ レイ公 (陳)
・ レイ公 (魯)
・ レイ共公 (秦)
レイ大原
・ レイ天閏
・ レイ委員会
・ レイ家菜
・ レイ川県
・ レイ水
・ レイ王
・ レイ王 (周)
・ レイ症候群、ライ症候群
・ レイ県


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

レイ大原 : ミニ英和和英辞書
レイ大原[はら, もと]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation

レイ大原 ( リダイレクト:大原はじめ ) : ウィキペディア日本語版
大原はじめ[おおはら はじめ]

大原 はじめ(おおはら はじめ、1984年7月24日 - )は、日本男性プロレスラー。本名は大原 甫(読みは同じ)。神奈川県川崎市出身。2015年よりプロレスリング・ノアに入団。
== 経歴 ==
中学生の時に高田道場に通い、高田延彦桜庭和志の指導を受ける。卒業後は、服部栄養専門学校に通い調理師免許を取得する〔越中詩郎TAJIRIウルティモ・ドラゴンに料理の腕を褒められている〕。
2003年、闘龍門JAPAN入門、第13期生となる。翌2004年5月16日、メキシコ・アレナコリセオの松山勘十郎戦でデビュー。
2005年、新日本プロレスLA道場に遠征後、CMLLに参戦。奥村茂雄田口隆祐とのKamikaze Nipponesトリオを結成。CMLLのレギュラーとして活躍。
2006年、22歳でNWA世界ウェルター級王座を獲得。
2008年、ドラディションNWEに参戦。バルセロナでウルティモ・ドラゴンとマスカラコントラマスカラを行った。また、師であるウルティモ・ドラゴンからNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を奪取する。同年の年末よりハッスルの所属になりREY大原(レイ おおはら)の名で活動する。
2009年8月23日、メキシコ、アレナメヒコのメインでウルティモ・ドラゴンとのマスカラコントラカベジェラを行う。同年12月からSMASHの所属となり、リングネームを大原はじめに戻す。
2010年8月、SMASH本隊を離れ、フィンランドのFCFの一員としてスターバックに師事し、主にジェシカ・ラヴとのコンビで活躍する。
2012年4月からはSMASHの事実上の後継団体であるWrestling New Classic(WNC)に所属し活動。
2013年1月にWNCを退団。その後、プロレスでの活動がみられなくなったが、同年春にプロレスリング・ノアに突如NO MERCYの新メンバーとして出現した正体不明の覆面レスラー「マイバッハSUWA Jr.」が大原と似た技を使用したり、体型が類似することから、大原がその正体ではないかと噂されるなどした。SUWA Jr.初登場は、2013年3月31日のノア後楽園ホール大会。SUWA扮するマイバッハ谷口Jr.とマイバッハ谷口のシングル戦に、マイバッハ谷口Jr.側のセコンドとして現れた。この日は試合は一切行っておらず、目立った行動も行っていない〔ベースボール・マガジン社『週刊プロレス』2013年4月17日号〕。
その後、同年5月12日後楽園ホール大会『方舟新章』に出場予定だったSUWAが、前日の日本武道館大会『FINAL BURNING in Budokan』で頸椎を負傷し長期欠場となり、急遽代役としてマイバッハSUWA Jr.なるレスラーが登場することとなった。そして当日、平柳玄藩と組んで丸藤正道小川良成と対戦。これがマイバッハSUWA Jr.のデビュー戦となった。試合は、11分1秒、丸藤の腕ひしぎ逆十字固めに平柳がタップ・アウトし、敗北した〔SUWA選手欠場のお詫びとお知らせ|プロレスリング・ノア公式サイト 2013年7月閲覧〕〔試合結果 2013年5月12日(日) 12:00~ 後楽園ホール|プロレスリング・ノア公式サイト 2013年7月閲覧〕。
その後、NO MERCYの一員となりフリーランスとしてノアへ継続参戦することが発表された〔2013年5月ツアー「Northern Navig. 2013」5・17仙台~5・26金沢大会参加他団体、フリー選手発表|プロレスリング・ノア公式サイト 2013年7月閲覧〕。
SUWAは、マイバッハSUWA Jr.の正体に関し、SUWAの知っている人物で、実力者とした〔GHCジュニア・ヘビー級タッグ選手権についてSUWA選手、平柳玄藩選手会見|プロレスリング・ノア公式サイト 2013年7月閲覧〕。
2013年3月には平柳とのタッグで第7回日テレG+杯争奪ジュニア・ヘビー級タッグ・リーグ戦へ参戦。2勝2敗の勝ち点4でAブロック3位に終わった〔第7回日テレG+杯争奪ジュニア・ヘビー級タッグ・リーグ戦|プロレスリング・ノア公式サイト 2013年7月閲覧〕。なお、同リーグ戦開催期間中、GHCジュニアヘビー級王座を保持する石森太二からタッグマッチ、シングルマッチでそれぞれピンフォールを奪っている〔試合結果 2013年7月19日(金) 18:30~ 米子コンベンションセンター|プロレスリング・ノア公式サイト 2013年7月閲覧〕〔試合結果 2013年7月26日(金) 18:30~ 新発田市カルチャーセンター|プロレスリング・ノア公式サイト 2013年7月閲覧〕。
2013年8月24日後楽園大会『Summer Navig.2013~丸藤正道デビュー15周年記念大会~』において、GHCジュニアヘビー級タッグ王者である獣神サンダー・ライガータイガーマスクのタッグの初防衛戦として、平柳とのタッグで挑戦する〔GHC選手権開催のお知らせ|プロレスリング・ノア公式サイト 2013年7月閲覧〕。なお体格などは一切公表されておらず、体重がジュニアヘビー級であることのみが判明していたが、試合に挑戦するにさきがけて身長174cm体重90kgと発表された。選手試合は序盤から執拗にライガーに覆面剥ぎ行為を行っていたが、逆に怒りを受けて覆面剥ぎをされ、頭部が露出した状態になり防戦一方になった。そして試合途中で自ら覆面を脱ぎ捨て、正体が大原であることが明かされた。試合は16分7秒でライガーの雪崩式垂直落下ブレーンバスターを受けたSUWA Jr.(大原)が体固めでピンフォールを奪われ、敗北した。また、今後は大原として参戦を続けることが正式発表された〔「Summer Navig.2013~丸藤正道デビュー15周年記念大会~」8月24日(土)後楽園ホール大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト 2013年8月閲覧〕〔2013年9月ツアー「Shiny Navig. 2013」9・7ディファ~9・23茅野大会 参加他団体、外国人、フリー選手 発表|プロレスリング・ノア公式サイト 2013年8月閲覧〕。
2014年1月、NO MERCYを裏切り森嶋猛率いる「超危暴軍」へ加入した。
2015年3月28日、正式にプロレスリング・ノアへ入団した。
2016年3月19日、GHC ジュニアヘビー級タッグ奪取。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「大原はじめ」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Hajime Ohara 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.