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レオニード・ゴヴォロフ : ミニ英和和英辞書
レオニード・ゴヴォロフ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

レオニード・ゴヴォロフ : ウィキペディア日本語版
レオニード・ゴヴォロフ[ちょうおん]

レオニード・アレクサンドロヴィッチ・ゴヴォロフ1897年2月10日 - 1955年3月19日)は、ソ連の軍人。ソ連邦元帥ソ連邦英雄第二次世界大戦時、包囲されたレニングラードを防衛するレニングラード戦線司令官を務めた。戦後は、国土防空軍総司令官等を歴任する。''、1897年2月10日 - 1955年3月19日)は、ソ連の軍人。ソ連邦元帥ソ連邦英雄第二次世界大戦時、包囲されたレニングラードを防衛するレニングラード戦線司令官を務めた。戦後は、国土防空軍総司令官等を歴任する。
==経歴==
トヴェリ県(現キーロフ州)ブトゥイルキ村の農家出身。エラブグ(タタールスタン)の実科学校卒業後、1916年、ペトログラード工科大学造船分校に入学したが、同年12月、ロシア帝国軍に召集され、コンスタンチン砲兵学校に送られた。1917年、学校卒業後、トムスクで独立迫撃砲中隊の下級将校として勤務。1918年3月、除隊後、エラブグ市の企業に勤める。
1918年10月に白軍が同市を奪取した時、元陸軍少尉のゴヴォロフは、アレクサンドル・コルチャークの軍に動員された。1919年10月、部下と共に白軍を脱走し、白軍に反対する戦闘労働者義勇軍に参加した。赤軍がトムスクに入城した1920年1月、赤軍に志願した。その後、東部及び南部戦線で戦い、砲兵大隊を指揮した。特にカホフ橋頭堡でのピョートル・ヴラーンゲリ将軍の戦車との戦闘で戦功を上げた。
ロシア内戦終結後、10年間、第51ペレコプ師団に勤務し、砲兵大隊長、連隊長を務めた。その後、要塞地区、第14及び第15狙撃軍団の砲兵部長を歴任する。1926年、砲兵完全化課程、1930年、高等学術課程、1933年、M.V.フルンゼ軍事アカデミーを卒業。1938年、参謀本部軍事アカデミー卒業後、F.E.ジェルジンスキー名称砲兵アカデミーで講師を務める。
ソ・フィン戦争時、要塞破壊と砲兵使用問題の専門家として前線に派遣され、第7軍の砲兵参謀長となりマンネルハイム線突破に大きく貢献した。1940年、砲兵副総監、1941年5月、ジェルジンスキー名称砲兵アカデミー校長に任命された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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