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レオノール・デ・ヴィゼウ : ミニ英和和英辞書
レオノール・デ・ヴィゼウ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

レオノール・デ・ヴィゼウ : ウィキペディア日本語版
レオノール・デ・ヴィゼウ[ちょうおん]

レオノール・デ・ヴィゼウLeonor de Viseu, 1458年5月2日 - 1525年11月17日)は、ポルトガルジョアン2世の王妃。
ヴィゼウフェルナンドアフォンソ5世の弟)と妃ベアトリスドゥアルテ1世の弟ジョアンの娘)の長女として、ベージャで生まれた。
1471年1月、当時王太子だった従兄ジョアンと結婚、2子をもうけたが、成人したのは1人だった。
*アフォンソ(1475年 - 1491年)
*ジョアン(1483年、夭折)
王妃となってから、カルダシュ・ダ・ライーニャ(現在のレイリア県の都市で「王妃の温泉」の意味)の町を建設した。1491年、王太子アフォンソが落馬によって急死した。王太子妃イザベルカトリック両王の長女)との間には子がなく、未亡人となったイザベルはカスティーリャへ帰国した。
ジョアン2世は、愛妾アナ・デ・メンドンサ(アフォンソ5世の後妻フアナ・ラ・ベルトラネーハ王妃の女官)との間に庶子ジョルジェ(1481年 - 1550年)がおり、ジョルジェを後継としたい意向だった。ジョアン2世には兄弟がないため、嫡出の血統をさかのぼると、ヴィゼウ公フェルナンドの次男でレオノールの弟、ベージャ公マヌエルが最も近く年長だった。レオノールの強い働きかけの結果、後継に指名されたのはマヌエルで、ジョアン2世の死後マヌエル1世として即位し、元王太子妃イサベルを自らの妃に迎えた。
マヌエル1世と2番目の妃マリア(イサベルの妹)との間の息子ジョアン3世の即位後の1525年に死去した。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「レオノール・デ・ヴィゼウ」の詳細全文を読む




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