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レオ・カイリー(Leo Patrick Kiely , 1929年11月30日 - 1984年1月18日)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州出身のプロ野球選手(投手)。 実働1ヶ月ながら、日本プロ野球史上初の現役メジャーリーガーの外国人選手である〔#大道 p.69〕。 == 来歴・人物 == にボストン・レッドソックスと契約。にメジャーリーグに初昇格し、同年は7勝7敗〔#千葉 p.47〕・防御率3.34の成績を挙げるも、翌1952年に兵役に就き、進駐軍として来日し横須賀基地に配属される。 、当時投手不足に悩んでいた毎日オリオンズは、メジャーリーグで投手経験を持つカイリーに目を付けた〔#千葉 p.46〕。しかし、軍を除隊させてまで入団させるわけにはいかないので、同じ横須賀基地勤務だったチャーリー・フッド(フッドはメジャー経験なし)と共に、軍に籍を置きながら休日とナイトゲームのみ出場という、いわばアルバイトでの選手契約を交わした。一連の経緯は、ハワイ出身の若林忠志の仲介による〔#大道 pp.69-70〕。 同年8月8日、リリーフとして初登板。以降8月だけで6試合に登板して6連勝(うち完封1)を挙げた〔。外国人投手による来日初登板からの連勝記録としてはこの6連勝が最高記録である。打撃面でも19打数10安打、打率.526を記録しており〔、登板した試合以外でも代打でも1試合に出場している。翌9月3日、本人に除隊命令が出たため帰国のため、退団となった〔日本文芸社刊「2000年優勝記念号巨人軍歴史新聞」25ページ〕。カイリーの活躍が顕著だったため、カイリーの帰国後に雇用形態に問題があるという建前で、1954年2月5日付で福井盛太コミッショナーより「進駐軍選手のアルバイト登板禁止」の通達が出される事となった〔。 、レッドソックスでメジャー復帰。、カンザスシティ・アスレチックスに移籍し、同年限りで現役引退。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レオ・カイリー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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