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レオ・ギンズブルク : ミニ英和和英辞書
レオ・ギンズブルク[ぶる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull

レオ・ギンズブルク : ウィキペディア日本語版
レオ・ギンズブルク[ぶる]

レオ・モーリツェヴィチ・ギンズブルク(、ラテン文字表記の例:Leo Moritsevich Ginzburg、1901年4月12日ユリウス暦3月30日) - 1979年)は、ソビエト連邦指揮者ピアニスト、音楽教師。ロシア連邦共和国功労芸術労働者(1966年授与)。
== 概要 ==
ワルシャワユダヤ人の家系に生まれる。ニジニ・ノヴゴロドの音楽学校で教育を受けた後、モスクワ音楽院に入学し、1923年から1928年の間、同校で指揮法コンスタンチン・サラジェフニコライ・ゴロワノフニコライ・マルコに、音楽理論ゲオルギー・カトゥアールゲオルギー・コニュスボレスラフ・ヤヴォルスキーらに学ぶ。この他、バウマン記念モスクワ国立工科大学に学び化学技師の学位を取得、モスクワ大学では心理学を学んでいる。1929年から1931年にかけては、ヴァイマル共和政下ベルリンに留学し、ベルリン芸術大学で放送音響技師としての学位も習得している。ベルリン時代には、ヘルマン・シェルヘンに学び、オットー・クレンペラーレオ・ブレッヒらの指導も受けた。
指揮者としては、1924年に活動を始め、ニコライ・ミャスコフスキー交響曲第13番交響曲第15番の初演を担当。〕、アラム・ハチャトゥリアンカバレフスキークニッペルラーコフシェバリーンらの作品の紹介に努めている。1932年モスクワ放送交響楽団1940年ソヴィエト国立交響楽団の指揮者陣に名を連ね、1944年から1945年の間は、ノヴォシビルスク・オペラ・バレエ劇場の首席指揮者、1945年から1948年にかけては、アゼルバイジャンの国立フィルハーモニー協会の首席指揮者として活動し、1950年から1954年まではモスクワ国立交響楽団の首席指揮者を務めている。
母校であるモスクワ音楽院では、指揮法の教師として1930年より亡くなるまでの間、およそ半世紀にわたり教鞭を執り続けた。1939年教授に昇格し、1940年から1943年1956年から1961年の二度にわたり主任を務めている。門弟はおよそ100人に及び、著名な者として、コンスタンティン・イワノフヴェロニカ・ドゥダロワイズラエル・グスマンファト・マンスーロフゲンナジー・チェルカーソフウラジーミル・フェドセーエフドミトリー・キタエンコアレクサンドル・ラザレフアレクサンドル・アニシモフラヴィル・マルティノフパヴェル・コーガンアレクサンドル・ミハイロフ等がいる。
1979年にモスクワで没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「レオ・ギンズブルク」の詳細全文を読む




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