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レザー・ラモン : ミニ英和和英辞書
レザー・ラモン[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

レザー・ラモン ( リダイレクト:スコット・ホール ) : ウィキペディア日本語版
スコット・ホール[ちょうおん]

スコット・ホール(''Scott Oliver Hall''、1958年10月20日 - )は、アメリカ合衆国プロレスラーフロリダ州タンパ出身。
1990年代後半に一世を風靡したnWoのオリジナルメンバーであり、WWFではレイザー・ラモン(''Razor Ramon'')のリングネームでも活躍した。
息子のコーディ・ホールもプロレスラーである。
== 来歴 ==

=== キャリア初期 ===
バリー・ウインダムにプロレスラーとしての基礎を学んだ後、1984年10月にNWAフロリダ地区でデビュー。デビュー当初は スターシップ・コヨーテ(''Starship Coyote'')を名乗り、スターシップ・イーグルとのタッグチームアメリカン・スターシップ(''The American Starship'')として活動、MACWCSWなど、NWAの加盟団体を主戦場としていた。MACWではザンブイ・エクスプレス(イライジャ・アキーム&カリーム・モハメッド)、CSWではミッドナイト・ロッカーズ(マーティ・ジャネッティ&ショーン・マイケルズ)などのチームと対戦し、ミスター・ポーゴと組んでブルーザー・ブロディともハンディキャップ・マッチで対戦した。
1985年8月から本名のスコット・ホール(''Scott Hall'')名義でAWAに参戦し、ベビーフェイスとしてカート・ヘニングとタッグを結成。1986年1月18日、ジミー・ガービン&スティーブ・リーガルからAWA世界タッグ王座を奪取した。以降、モンゴリアン・ストンパー&ノード・ザ・バーバリアンやロング・ライダーズ(スコット・アーウィン&ビル・アーウィン)などのチームを相手に防衛戦を行い、同年5月17日にバディ・ローズ&ダグ・サマーズに敗れるまで戴冠した〔。
1987年5月、当時AWAとの招聘ルートを持っていたマサ斎藤のブッキングで新日本プロレスに初来日を果たし、IWGPリーグ戦第5回大会に出場。リーグ戦では同ブロックのアントニオ猪木コンガ・ザ・バーバリアンに敗退するも、坂口征二藤原喜明に引き分け、キラー・ブルックスから勝利を収めた。以降も新日本の常連外国人として、1990年まで7回に渡って来日。1988年11月の来日時にはディック・マードック&ボブ・オートン・ジュニアとのトリオでエリミネーション6人タッグマッチのリーグ戦『'88ジャパン・カップ・シリーズ』に出場。1990年3月19日には広島県立体育館にてパニッシャー・ダイス・モーガンと組み、マサ斎藤&橋本真也が保持していたIWGPタッグ王座に挑戦した。
1990年7月7日、カルロス・コロンが主宰するプエルトリコWWCのアニバーサリー・イベントに出場。アトキー・マルンバことボツワナ・ビーストから反則勝ちを収めている。同年8月と11月にはオットー・ワンツオーストリアグラーツを拠点に主宰していたCWA(Catch Wrestling Association)に "西部の荒くれ者" テキサス・スコット(''Texas Scott'')を名乗り参戦。ランボートニー・セント・クレアースティーブ・ライトデビッド・テイラーなどと対戦した。
1991年、ホール自身の発案による "世界一セクシーな男" ダイヤモンド・スタッド(''The Diamond Studd'')として、ヒールのポジションでWCWに登場(リングネームは、ダイヤモンド・ダラス・ペイジマネージャーを務めたことに由来)。10月27日のHalloween Havoc 1991ではベイダーアブドーラ・ザ・ブッチャーカクタス・ジャックと組み、スティング&スタイナー・ブラザーズ&エル・ヒガンテとの金網電気椅子デスマッチ(Chamber of Horrors Match)に出場。1992年にはポール・E・デンジャラスリー率いるデンジャラス・アライアンスに加入するが、タイトル戦線に絡むことはできず、同年にWCWを離脱した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「スコット・ホール」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Scott Hall 」があります。




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