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レシェク・バルツェロヴィチ(Leszek Balcerowicz, 1947年1月19日 - )は、ポーランドの経済学者・政治家で、元副首相、元財務相、前ポーランド国立銀行総裁。1990年代のポーランドにおいて「バルツェロヴィチ・プラン」ないし「ショック療法」として知られる経済移行プログラムを指揮したことで有名。 == 略歴 == クヤヴィ=ポモージェ県生まれ。1970年、ワルシャワ中央計画統計大学(現ワルシャワ経済大学)国際貿易学部卒。1974年にニューヨークのセント・ジョーンズ大学で経営学修士号(MBA)を、1975年にワルシャワ経済大学で経済博士号を取得。 1969年から「ポーランド統一労働者党(PZPR)」の党員で、1981年に全土で戒厳令が敷かれるとともに離党。1970年代後半はポーランド人民共和国首相府経済顧問団のメンバー。1978年から1980年にかけてはマルクス=レーニン主義研究所に勤務。のち独立自主管理労働組合「連帯」の経済顧問となり、統一労働者党を除名処分される。 1989年9月から1991年8月まで、および1997年10月1日から2000年6月8日までの二度にわたりポーランド共和国副首相兼財務相。1995年から2000年にかけては当時の中道政党「自由連合(UW)」に入党。 2000年12月22日、中央銀行であるポーランド国立銀行の総裁に就任。同時にポーランドのニュース週刊誌「フプロスト(Wprost)」の専属コラムニスト。 2005年11月11日、ポーランドの経済体制移行への貢献に対して、クファシニェフスキ大統領より「白鷲勲章(Order Orła Białego)」を授与される。2006年、「ポーランド経済殿堂(Galeria Chwały Polskiej Ekonomii)」入り。 国際連合開発計画の外郭団体で社会的疎外問題と貧困問題に法的な面から取り組む世界初のグループ「法律によって貧困層の権利を守る委員会(The Commission on Legal Empowerment of the Poor)」と、ワシントンD.C.を基盤とする有力な経済顧問団「30人委員会(The Group of Thirty)」のメンバーであり、さらにワシントンD.C.のシンクタンク「ピーターソン国際経済研究所(Peterson Institute for International Economics)」の理事。 2008年6月11日より汎ヨーロッパシンクタンク「ブリューゲル(Bruegel)」の総裁。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レシェク・バルツェロヴィチ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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