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レチナ(''Retina'' )は1934年からドイツコダックが製造販売したカメラである。レチナとはドイツ語で網膜の意。 == 概要 == 市場における24×36mm(ライカ)判カメラは1925年にエルンスト・ライツ社から発売されたライカが先鞭を切って成功し、大手光学メーカーのツアイス・イコンが1932年にコンタックスを発売して対抗していたが、いずれも非常に高価格な製品であった。 ドイツコダックの前身・ナーゲルの創設者でもある技術者アウグスト・ナーゲルは、このように高級機に独占されていたライカ版カメラを大衆のものにしようと考えており、1934年〔この箇所には12月とあるが同一記事の中に#117が1934年7月からとあり矛盾する。〕に最初のレチナを発売、同時に親会社のコダックはこれに適合するパトローネ装填済みで扱いやすい135フィルムを発売した〔『クラシックカメラ専科No.4、名機の系譜』p.24。〕。 レチナは、カール・ツァイス製テッサー、シュナイダー・クロイツナッハ製クセナーなど一流レンズを装着、シャッターもデッケル製コンパーを採用するなど良質なパーツを採用した〔『ツァイス・イコン物語』p.82。〕製品であったが、その良好な性能に比して廉価〔でかつ小型軽量であったことから、市場において歓迎される大ヒット製品となった。 その価格は1934年の発売直後ドイツ本国で75マルクであった。同時代の上級35mmフィルムカメラは、1935年のライカIIIa(エルマー50mmF3.5付き)が307マルク、1938年のコンタックスII型(テッサー50mmF3.5付き)が360マルクであった〔。また日本では1935年時点で定価195円〔であった。1937年時点でも日本でのレチナは定価195円-240円であったが、ライカはレンズのグレードにより580円から950円、コンタックスはその上をゆく970円-1,600円という超高額品で共に「家が建つほど高い」と言われていた。レチナがいかにバリュー・フォー・マネーな製品であったかを物語る逸話である。 このデザインコンセプトにバルダやウェルタなど多数のメーカーが追随したこともあって、元々映画用だった35mmフィルムの規格を、静止写真用として本格的に大衆に定着させる端緒となった〔『ツァイス・イコン物語』p.83。〕。 頭に#のついた3桁の数字はレチナ愛好者の間でシュトゥットガルトタイプナンバーと言われているもので、ドイツコダック社内での形式番号である〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レチナ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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