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レッスルマニアVII(―セヴン、WrestleMania VII)は、1991年3月24日にアメリカ合衆国のプロレス団体WWE(当時はWWF)が開催した年間最大の興行およびPPVの名称である。 == 概要 == レッスルマニアVIIでは、2つのビッグマッチが組まれた。まず、当時アメリカと開戦中であったイラクに(設定上)心を売ったWWF王者のスローターに対してホーガンが挑むメインイベント。ホーガンはロイヤルランブルで優勝し、オールアメリカンとしての王座挑戦となった。また、前年のレッスルマニアでホーガンを破りWWFの看板選手になったウォリアーと、彼が王座陥落をしたきっかけになったサベージの因縁の一戦(ロイヤルランブルでのサベージによる乱入・王杖での頭部への攻撃で、ウォリアーはスローターに敗北)も実現した。 他にも、億万長者のデビアスに対し、彼の召使であったバージルが反旗を翻し一矢報いた試合や、蛇男ロバーツと元AWA王者のマーテルとの「目隠しマッチ」なる特異な試合も組まれた。 *本大会は当初の予定では前年のVI、翌年のVIIIと並び3部作で大規模なスタジアム会場にて開催されるはずであった。しかし、サージェント・スローターとハルク・ホーガンの湾岸戦争アングルが全米のマスコミからバッシングを浴びたため、急遽中規模会場での開催に変更された。 *当時のWWFがSWSと業務提携していたこともあり、SWSのエースである天龍源一郎と北尾光司が日本人として初めてレッスルマニアに出場し、同時にデモリッションを相手に勝利している。両名は本大会までにWWFには未登場であったため、当日の試合前には紹介のインタビューが流された。 *現在もなおレッスルマニアにおいて連勝記録を続けているジ・アンダーテイカーは、本大会がレッスルマニア初出場となった。 *オープニングではウィリー・ネルソンが "美しきアメリカ" を独唱。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レッスルマニアVII」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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