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レッドハット作戦 () は、沖縄本島のアメリカ軍基地に毒ガスが貯蔵されていることが明るみに出たのをきっかけに、これを島外に移送するため1971年に実施されたアメリカ軍の一連の作業である。 == 概説 == 1969年7月18日、沖縄県美里村の知花弾薬庫(現・沖縄市の嘉手納弾薬庫地区)内の「レッド・ハット・エリア」で致死性のVXガス放出事故が起き、アメリカ軍人ら24人が病院に収容されたことを米紙ウォール・ストリート・ジャーナルが報じた。これによって、同施設内に毒ガス兵器が存在することが明らかになり、アメリカ軍はこの事実を認めた。弾薬庫周辺では、以前から皮膚の炎症や目の痛みを訴える人がいたり植物が枯れたりしていたが、アメリカ軍に顧みられることはなかった。 貯蔵量は致死性のものを含め1万3千トン、アメリカ合衆国以外で配備されているのは沖縄だけだと伝えられて、住民は不安と恐怖に包まれ、怒りの声が広がった。各種団体の抗議声明が相次ぎ、立法院は全会一致で「毒ガス兵器の撤去要求決議」を採択、市町村議会による撤去決議もあげられていった。1970年5月23日、沖縄県祖国復帰協議会が主催する1万人規模の「毒ガス即時撤去要求、アメリカのカンボジア侵略反対県民総決起大会」が開かれた。 結局、アメリカ軍はハワイ諸島の西方約1400kmに位置するアメリカ合衆国領ジョンストン島に毒ガスを移送することを決定。琉球政府主席の屋良朝苗は、「毒ガスは沖縄の人々に知らされずに持ち込まれた。撤去は沖縄側の責任ではない。アメリカが撤去にかかる地元の費用を一切負担しないというのは道理が通らない」と日米両政府に訴え続けた。日本政府は当初「軍事機密」を理由に関与を避けていたが、代替道路建設費など60万ドルを日本政府が負担することで決着した。 1971年、2回にわたり、知花弾薬庫から東海岸の具志川市(現うるま市)の天願桟橋まで11km-13kmの行程を、延べ1300台以上のトレーラーで移送作業が行われた。ガス漏れを検知するため、トレーラーにはウサギが乗せられていた。 1月13日、第1次移送でマスタードガス150トンが運ばれた。このとき移送路周辺の住民約5千人が避難し、80校以上の小・中・高校(児童・生徒総数約7万5000人)が臨時休校した。 7月15日-9月9日、56日間にわたり、サリン・VXガスなどを運ぶ第2次移送が実施された。住宅地などをできるだけ避ける経路に変更し、アメリカ軍は安全性を強調したものの、付近の住民は自主的に避難したという。〔沖縄県公文書館 ホーム > 公文書館通信 > あの日の沖縄 > 1月13日 毒ガス移送始まる(1971年) 〕〔「B級記者どんわんたろうがちょっと吼えてみました【第57回】40年前、沖縄から大量の毒ガスが運び出されていた」 マガジン9、2011年8月3日〕 同年6月11日放映の『帰ってきたウルトラマン』第11話「毒ガス怪獣出現」は、この作戦を念頭に置いて書かれており、沖縄県出身の脚本家の金城哲夫が手掛けたテレビドラマの脚本としては最後の作品となった。9月19日には、NNNドキュメント'71『毒ガスは去ったが…』が放映され、移送作業の一部始終とともに、基地の島の将来への住民の不安を伝えた〔七沢潔 「制作者研究〈テレビ・ドキュメンタリーを創った人々〉【第4回】森口豁(日本テレビ)~沖縄を伝え続けたヤマトンチュ~」 『放送研究と調査』、2012年6月号〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レッドハット作戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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