|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
レッド・ショーエンディーンスト(Albert Fred "Red" Schoendienst、1923年2月2日 - )は、主に1940 - 1970年代に活躍したアメリカ合衆国・MLBの元選手、及び監督。選手時代の主なポジションは二塁手。イリノイ州ジャーマンタウン生まれ。右投げ、スイッチヒッター。 名字はシェーンディーンストとも読むメディアもある。 == 経歴 == 、19歳の時にカージナルスと契約。にはマイナーのインターナショナルリーグで最優秀選手になったこともある。第二次世界大戦中は陸軍に従軍していたが、眼と肩を負傷して帰還した。に外野手としてメジャーリーグにデビュー、137試合に出場し、打率.278の成績を残す。この年の盗塁数は26個だったが、ナショナルリーグでは最多の盗塁数だった。翌に二塁手に転向、俊敏で確実な守備でこの年のカージナルスのワールドシリーズ制覇に貢献した。この年に、320守備機会で失策なしという二塁手の守備記録を作っている。 チームメートだったスタン・ミュージアルは、彼の守備について『私が見た中で最も偉大な両手』 (''"The greatest pair of hands I've ever seen"'') と評している。二塁手の通算の守備記録としては、最高守備率が6シーズン、また通算の補殺数5263、併殺数1368などの記録が残っている。 打撃面ではにリーグ最多となる43本の二塁打を放ったのを始め、に打率.342とリーグ2位の打率を記録した。またには、シーズン途中でニューヨーク・ジャイアンツからミルウォーキー・ブレーブスへ移籍しながら、リーグ最多の200安打を放っている。 にブレーブスからカージナルスに復帰。この後までコーチ兼任選手で、に選手を引退しコーチに専念するようになった。翌に監督に就任、までカージナルスの指揮をとり、この間との2度のリーグ制覇を成し遂げた。なおリーグを二連覇した1968年には、カージナルスを率いて日米野球のため来日もしている。カージナルスの監督は1976年まで務め、一度勇退するが、4年後ののシーズン終盤に監督に復帰し37試合を、さらににも7月6日から8月1日までの約1ヶ月間、10年ぶりにカージナルスの指揮をとり、13勝11敗の戦績をおさめている。現在も特別アドバイザーの一人としてカージナルスのスプリング・キャンプに現れている。 にベテランズ委員会がアメリカ野球殿堂入り選手に選出。彼の現役時代の背番号『2』は、にカージナルスの永久欠番となった。ショーエンディーンストは現役時代は名選手で、かつ監督においても成功した稀有な人物である。 現在はカージナルスの球団特別補佐を務めている。2006年ワールドシリーズの第4戦では、ショーエンディーンストの娘が''"God Bless America"''を斉唱した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レッド・ショーエンディーンスト」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|