翻訳と辞書
Words near each other
・ レナ・ライス
・ レナータ
・ レナータ (企業)
・ レナータ・オガネシアン
・ レナータ・スコット
・ レナータ・セベレディ
・ レナータ・テバルディ
・ レナータ・トマノワ
・ レナータ・フォン・エスターライヒ
・ レナータ・フォン・ロートリンゲン
レナータ・ボルガッティ
・ レナーテ
・ レナーテ (小惑星)
・ レナーテ・シュテヒャー
・ レナーテ・マインツ
・ レナート
・ レナート1世
・ レナート・カステッラーニ
・ レナート・カステラーニ
・ レナート・ガウショ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

レナータ・ボルガッティ : ミニ英和和英辞書
レナータ・ボルガッティ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

レナータ・ボルガッティ : ウィキペディア日本語版
レナータ・ボルガッティ[ちょうおん]

レナータ・ボルガッティRenata Borgatti 1894年 - 1964年3月8日)はイタリア出身のピアニスト
失明するまでスカラ座で活躍した偉大なワグネリアンテノール、ジュゼッペ・ボルガッティ(1871年 - 1950年)を父に持ち、当初はバレリーナを目指したが、後にダンスを断念して演奏家に転向し、とりわけドビュッシー作品の専門家として名を成した。ヨーロッパだけではなく、アメリカ合衆国においても演奏を行ない、世界的なコンサート・ピアニストとして認められた。
ボルガッティはレズビアンであったが、ひとまず1900年初頭にカプリに定住した時には、まだその生活様式は目立たないものだった。1918年ヴェネツィア男爵夫人で社交界の華だったミミ・フランケッティと1年にわたって関係を持つが、その後フランケッティはカプリを去って画家ロメイン・ブルックスロメーヌ・ブルックス)との関係に入った。
1920年にボルガッティもカプリを離れ、ヨーロッパ大陸での活動を追求する。この頃ブルックスは、作家のナタリー・バーニー愛人にしていたにもかかわらず、ボルガッティにも食指を動かしてきた。ブルックスとの関係は3年にわたって断続的なものであり、ついにブルックスから接触を避けるに至って終わりを迎えた。1920年代半ばには、シンガー・ミシンの相続人でエドモン・ド・ポリニャック公ウィナレッタと関係を結んだ。
1920年代には、しばしばヴァイオリニストのオルガ・ラッジと共演した。ラッジは、このころ音楽評論家だったエズラ・パウンドと愛人関係にあった。パウンドはボルガッティの演奏を「ポロンポロンと鳴らしている」と扱き下ろしていて、ボルガッティは、当時の他の有能な演奏家と同じく、評価の矛盾するパウンドのことを嫌っていた。パウンドとは互いに嫌っていたにもかかわらず、ボルガッティはラッジとは数年の間、演奏活動を共にしたのである。ボルガッティがラッジと同性愛の関係を結んでいたので音楽の関係も長続きしたという可能性も無くはないが、一番の可能性は、二人の音楽的な趣味の一致に恵まれたということであろう。
その後は音楽教師となり、1964年ローマで亡くなった。白血病であった。
==註==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「レナータ・ボルガッティ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.