翻訳と辞書
Words near each other
・ レナードの朝
・ レナード・B・メイヤー
・ レナード・N・スターン・スクール
・ レナード・T・ホブハウス
・ レナード・W・ホール
・ レナード・ウィバーリー
・ レナード・ウォーレン
・ レナード・ウッド・ホール
・ レナード・ガルシア
・ レナード・クラインロック
レナード・コットレル
・ レナード・コーエン
・ レナード・シャロウ
・ レナード・シュレイダー
・ レナード・シュレーダー
・ レナード・ジョンソン
・ レナード・スラットキン
・ レナード・スラトキン
・ レナード・タルミ
・ レナード・デービス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

レナード・コットレル : ミニ英和和英辞書
レナード・コットレル[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

レナード・コットレル : ウィキペディア日本語版
レナード・コットレル[ちょうおん]
レナード・コットレル(Leonard Eric Cottrell、男性、1913年5月21日 - 1974年10月6日)は、イギリス著作家であり、ジャーナリストである。レオナード・コットレルと表記した日本語訳本もある。
コットレルの著作の大半は、古代エジプト考古学の大衆化に費やされている。カルタゴハンニバル将軍に関する著作『Hannibal: Enemy of Rome』は、コットレルがポエニ戦争当時におけるハンニバルの行軍進路と同じく、アルプス越えからポー川を辿り、新たな発見をしたことにより著名な作品となっている。
== 来歴 ==
コットレルは、イングランドウルヴァーハンプトン1913年5月21日にウイリアムスとベアトリスのコットレル夫妻の間に生まれた。12歳から考古学に興味を持ち〔暮田訳 『エーゲ文明への道』あとがき 390-391ページ〕、バーミンガムのに通う頃には、コットレルの興味はもはや歴史と英語だけとなり、書物を読み漁った。
1930年代にコットレルは、イギリス国内にあった先史時代のストーンサークル古墳中世ルネサンス期のモニュメントなどを自転車で訪れている。この旅をよく共にしたドリス・スウェインとは後に結婚することになる。広告業界に就職したが〔、雑誌に歴史記事を投稿するなどの経験を重ねた後、1937年にBBC放送で初のドキュメンタリー番組を執筆した。
第二次世界大戦中は医療面の理由により、イギリス空軍により兵役を免除された。しかしコットレルは1942年にBBCに入社するや、イギリス空軍の従軍特派員として活躍した。著作『All Men are Neighbours』(1947年刊行)は、この時の経験を元にして記されたものである。BBCではレポーターやプロデューサーとして活躍したが〔1960年に退職。退社後はカンブリアを流れる河畔に移り住み、余生を執筆活動に充てた。1965年に出版された『Concise Encyclopaedia of Archaeology』の編者である。
私生活では前述のドリス・スウェインと結婚したが1962年に離婚。別の女性と1965年に再婚したが1968年に離婚している。1974年没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「レナード・コットレル」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.